最初から、わかっていたのかもしれない。
 自分はこの男に勝てないと。
 言うなれば、この戦いはただの儀式。結果がわかっている中で、決まった道をなぞるだけの。
 灰塚は取り落とした銃を拾う気も起きず、そっと目を閉じた。
 殺して貰えるとは、まあ思わない。ならば、自ら死んだ方が――。
「ほら」
 何かを握らされる。それが慣れた感覚だと知って、灰塚はようよう目を開いた。
「……?」
 銃だ。自分の銃。雨雲京介に渡したはずなのだが。
 見れば、彼は銃を持っていなかった。当然だ、彼が持っていた銃は自分が持っている。しかし、いかに自分が勝ったとは言っても、無防備すぎやしないか?
 灰塚の流れる思考は、雨雲の言葉に遮られた。
「君には聞きたいことが山ほどある。だが、答えたくないのであれば、答えなくてもいい。拷問するつもりもないし、君を束縛するつもりもない」
「……何故?」
 素直に、言っている意味がわからなかった。
 殺す可能性は考えていた。情報を引き出すために何でもされる可能性はもっと高い。でも、任意なんて?
「人を傷つける趣味があるわけじゃないんだよ、僕は」
「けれど、必要があればやるはず」
「必要でも、だ」
 ますます。
 本当に本当に、意味がわからない。
 ふむ、と雨雲は軽く考え、
「灰塚。前にも言ったと思うけど、僕は君たちを知りたいわけじゃないんだ。君たちが僕の邪魔をしないのであれば、それでいい。それ以上のことに興味はない」
「でも、わたしは、あなたを殺そうとした」
「死んでいない。今後とも君たちが僕らに手を出さないのであれば、関わりたいとも思わない。理解して貰えたかな?」
 もちろん、理解なんかできない。
 そもそも自分を殺そうとした相手だというに、これだけ平然としているのは何なのだ。それがそもそも理解できない。
 殺そうとすれば殺され、殺されかければ殺し返す。そういうものではないのか。
 ――あるいは自分がおかしいのか?
「……雨雲京介」
 そうだ。彼に、聞いてみればいい。
「わたしのマスターは、核兵器を求めている」
「ほう」
 目を細める。それ以上、雨雲は言葉を発しない。代わり、灰塚は苦手な言葉を続けていく。
「その彼が、その精霊を殺すよう、塔原に指示していた。これは、偶然だと思う?」
「塔原ってのは、あのフードちゃんのことかしらぁ?」
 律義にレイアに向き直り、灰塚は頷く。
 雨雲は首を振り、
「ありえない。核兵器の精霊なんてのがそもそも非常識なのに、核兵器を求める人間がそれを知らないなんてことは、まずありえない」
「……そう、思う?」
「君の主について知っているわけじゃないけど、『偶然』でありえる事象とありえない現象がある。不自然すぎる」
「そう……」
 では、本当にマスターは嘘をついていた?
 何のために。自分に本当のことを知られて何か問題があるのか?
 否。たといこの精霊の正体が何であろうと、自分には関係なかった。彼女が人間であろうとなかろうと、殺してしまえば同じだ。自分はマスターの命じるままに敵を撃ち殺したことだろう。
 そうだ、迷うことはない。恐れることもない。これからもこれまでのようにマスターが命じるままに敵を殺せばそれで済むのだ。
 なのに、自分は何を恐れているのか。
 本当は、わかっている。そうであって欲しくないと思う、だけど、もしかすると『そうであるかもしれない』。
 その可能性は、自分という存在を根本から揺るがしかねない事実なのだ。
「では」
 その答え。雨雲京介は、わかるだろうか?
「なぜ、マスターは精霊を殺せと命じた?」
 核兵器を手に入れたいのであれば、別に殺す必要はない。いや、引き入れた方がずっと有効だったはずなのに!
 精霊が、神様というものがどういうものか、よく知りはしない。だが、知らないからこそ、殺してしまってはいけないような気がするのに!
 雨雲京介は、考えなかった。
「明らかだ。殺すのは邪魔だから。すなわち、君のマスターとやらは、核兵器という存在が邪魔なんだろう」
 ――その答えを知りたかった。だけど、聞きたくは、なかった。
 もしも月宮清史郎が核兵器を利用するつもりならば、その精霊を名乗る女は大なり小なり興味を持つはずなのだ。なのに月宮は何の感情も見せず、ただ殺すことだけを氷室に指示している。
 彼の語った目的には核兵器の入手が必要不可欠。その精霊ともなれば、利用価値はいくらでもあるはずではないのか? 少なくとも何かしらの調査は必要なのではないか?
 なのに、問答無用で、殺せ?
 確かに。確かに計画の邪魔になるかもしれない。不穏分子は片付けておく、それも考えられる。有効性と危険性を天秤にかけ、危険性を重視しただけの話ではないのか。
 可能性は、月宮の指示を裏付ける論拠はあるのに、そうだと断ずることができない。いや、灰塚自身、心の底でわかっているのだろう。それを認めたくないだけで。
 そんな灰塚を眺め、雨雲は口を開く。
「最初の質問。君の主の名前は」
 答える義理はない。思うのに、口は意思に反して勝手に動く。
「……月宮。月宮清史郎」
「月宮ね。日向、聞いたことあるか?」
 ううん、と剣士は首を横に振る。日向は両親の復讐がてら、霊力を持つ人間についてかなり詳しく調べたことがある。彼女が知らないと言うのであれば、少なくとも霊力で名を馳せる家ではないのだろう。
「じゃあ次の質問。君は霊力を得るために何を失った?」
「何を、とは」
「霊力は血筋だ。しかし、君を見る限り生まれながらの霊能力者とは思えない。何かを得るために何かを失う必要があるのは必然だ。月宮は、君に何を捨てさせた」
 ああ、そういうことか、と理解する。どうしてそんな質問が出るのかはわからないけれど。
「あえて言うのであれば、女性としてのわたし」
「……なるほどね。だから君たちは女ばかりの軍隊なのか」
 暗号のようなやり取りで、日向やレイアにはいまいち内容が把握できていないようだが、雨雲は彼女たちを置いてけぼりにするつもりのようだ。灰塚も、あえて問われもしないことを答えることはしない。
「月宮の目的は核兵器と言ったね。より具体的には?」
 言葉に詰まる。話せないからではない。それさえも、最も重要な、自分が月宮の剣となる覚悟を決めた理由さえも疑いかけた自分に、戦慄したがゆえ。
 そうだ、全て話してしまえばいい。それで月宮が不利になることはあろうとも、彼の命が危険にさらされることだけはない。
 ならば、話して楽になろう。聞いて、自分の中にある疑いの種を晴らしてしまおう。
 そうすれば、これからも月宮の手足として生きていくことができるのだから。
「彼の、目的」
 古いと呼べるほど昔の記憶。自分が霊力を手にする前に、彼が語ってくれた夢。
「――核兵器で戦争を起こすこと。ひいては、人類を減らすこと」
 それが、灰塚が月宮のために生きることを決意した、決定的理由。
「人類、と来たか」
 どこか呆れたような口調。だが、核兵器にはそれだけの力は確かに秘められている。
 人間が霊力を持ち、建物を断裂させ地面を砕き空を駆け巡ろうとも、決して彼の兵器ひとつにも及ぶことはない。
 あれは人間が作り出した、人間を超越した力なのだ。どれほど鍛錬しようとも超越しえない武器。最強にて最凶の矛。
「だが、そうだな、それなら僕や日向が邪魔になる理由はわからない。それにレイアを襲う理由も、だ。
 精霊がどのような存在なのかわからない以上、普通はうかつに手出しできない。仮に精霊を殺してしまうと核兵器が無力化されてしまうとしたら? 襲われた反射で精霊が自ら使役する存在を爆破させてしまったら?」
「あ……」
 そんなことは、考えたことはなかった。
 精霊を殺せという命令。塔原にその命令が出た時も、自分は何も思わなかった。当然だ、剣は何も考えない。
 だが、よくよく考えてみれば、彼女が核兵器の精霊なら、それこそ核ミサイルを呼びよせることだってできたかもしれないのだ!
 塔原の霊力は防御向きだが、核兵器に対抗しうるわけがない!
「じゃ、あ、最初、から?」
 月宮が彼女は核の精霊だと知っていたとして。
 そして、その上で塔原に彼女を殺せと命じたとしたら。
 最初から核兵器など、どうでもよかったのか!?
「おそらく、だけど、月宮という男は何か別の目的を持っているね。そうでなければ、月宮を追っていたわけではない僕や日向を殺せと命じる必要はなかったし、レイアを殺す必要もなかった。
 そもそも核兵器を手に入れることが目的なら日本にいること自体がナンセンスだ。この国にはそんな物騒な兵器はないんだから」
 灰塚の頭を巡る記憶。
 日本が拠点。理由。ここが都合がいいからだ、と月宮は言った。だがその理由は説明しなかった。
 雨雲京介や日向雪乃、レイアを殺せと命じた。だけどその理由は詳しく説明しなかった。邪魔だから、としか言わなかった。
 彼は核兵器を用いて人類を減らすと言ってくれた。自分もその目的に賛同した。だが、そういう考えに至った過去、理由までは説明したことなどない。
 そもそも、彼がどういう出自で、どうして霊力を知り、どのような方法で人工的に霊力を与える方法を確立させたのか。
 自分は、自分は月宮について、何も何も何も知らなさすぎるじゃないか!!
「あ、あ……!」
 どうすればいい。何が正解だ何が間違いだ何が真実だ何が嘘だ何が何が何が!
 敵は誰だ何を倒せばいいこの銃は、銃口を向けるべき相手は!
 それは、この得体の知れない男なのか!?
「あああああああああああ!!」
 叫んだのは生まれて初めてだった。わけもわからず、ただ大きな声を腹の底から絞り出す。
 それが自分の声なのかさえ、もはやわからない。ただ魂を削り落すように、何もかもを消し去るように。
 全身を巡るこの感覚は、何だ。生まれてこの方、感じたことのない何か。いや、自分は、覚えている。
 この感覚、ひどく昔に――そう、月宮と出会った頃に。
 自分が彼と出会って失ったもの。それは。
 そんな少女を見て何を思ったか。雨雲京介は、親が子にそうするように、頭に手を置く。
「――何が真実で何が虚実なのか判断するのは自分だ。自分が正しいと思うこと、それを成すことこそ、真実である」
 見上げた先。雨雲は笑ってさえいなかった。だが、不思議と安心した。
 ふっと、灰塚の中の何かが、途切れた。