広い屋敷の一室。
 そこは、月宮がいつもいる書斎とは、また別の書斎だった。だが、彼が常に使っている書斎とは違い、こちらはみすぼらしい。本棚に本はなく、机の上には埃が積もり、敷かれたカーペットは色あせて毛羽立っている。
 そんな書斎に並ぶ本棚の一つ。そこだけは埃が積もっていなかった。
 月宮は床の一部を踏む。と、本棚が自動的に下がり始めた。
 静かなモーター音。やがて、本棚の向こう側に黒い空洞がぽっかりと口を開ける。
 コツコツ、と靴音を響かせながら、月宮は奥に進んだ。
 勝手知ったる我が道。続くのは長い長い階段。ところどころ非常灯のような明かりはあるが、全体を覆い尽くす薄闇には逆らえていない。
 闇の中に、月宮は堕ちていく。
 ようよう――五分ほども階段を下り続けると、終点が見えてくる。階段を降り切ると、薄明かりに照らされた白い道が見えた。
 左右に並ぶ白い扉。だが、それらには目もくれず、月宮は最奥の扉を目指す。
 最も奥にある扉は、一見すれば他の扉とは何の違いもなかった。ただの白い扉。鍵さえかかっていないそれを、月宮は無造作に開く。
 中に入ると、この部屋には明かりが点いていた。
「ん……、月宮か」
 先客が月宮を迎える。大柄な野戦服姿の女性――小鉄。
「小鉄。彼女たちの状態は?」
「悪くない。まあ実戦には使える状態と言えるな」
 そこは、広い部屋だった。体育館ほどの広さがあるだろうか。ずらりと居並ぶのは、いずれも少女たち。
 老齢の者は一人としていない。また、極端に幼い者もいない。十代の後半か、二十代の半ばまでがせいぜいか。
 その全員が、月宮によって霊力を与えられた者たち。その『成功例』。
「結構。調整をした甲斐があるといったところだね」
「それはいいが、な。いよいよこいつらを使わざるをえない、というわけか」
 小鉄が眺める先では、少女たちが訓練を行っている。
 そう、訓練だ。
 手に手に木刀やらを持ち、お互いに刃のない刃をぶつけ合う。
 霊力の通わない武器。それによってお互いが傷つくことはないが、より実践的な動きを確認することはできる。
 彼女たちの動きは、明らかに雨雲京介が戦った少女たちとは次元が違った。
 霊力が使えるだけの素人たちは、すでに戦いを知った人間の動き。
 攻めるだけではなく引くことを知っている。
 受けることもかわすことも知っている。
 それはまだまだ拙いレベル。けれど、何も知らない頃とは段違い。
「来週に入ったら、そろそろ動きだそうか」
「やる、のか」
「当然。雨雲京介には少しばかり思い知ってもらう必要があるからね」
「……お前がそう言うなら、私は何も言わないが」
 月宮は小鉄を見上げる。顔は彼女の言葉以上に如実に物語っている。
「何か言いたそうだね」
「いや。私がお前の決定に口を挟もうはずがないだろう?」
「はは、面白い冗談だ」
「それはよかった。私の冗談はウケた試しがない」
 乾いた笑い。途切れ、黙し。
「――月宮。私は、氷室や灰塚よりはお前のことを知っているつもりだ」
「それで?」
「それでもなお、戦うのか」
「至極当然。人間は生きるためならば何でもするだろう? 同じことさ。ボクの場合もね」
「そう、か。生きるため、か」
 生きるため。
 生物として最大かつ最初の目的。そのためならば、たとい何をしても、許されるのだろうか?

 立風のマンション。
 レイアは一人、テレビ画面を眺めていた。退屈なことに変わりはないが、さりとて何か目的を持った行動を取ろうにも目的がない。
 雨雲は灰塚と日向を連れて、自宅に戻っていた。人間であれば着替えも必要だろう。精霊である彼女は、着替える必要さえない。
 テレビ画面はニュース映像を映していた。どこか外国で、またテロ事件があったらしい。死人も出ているそうだが、日本人の犠牲者がいないせいか、どこかのんびりとした調子がある。
「変わっているわよねぇ、人間って」
「何が?」
 相手役となれるのは立風くらいなもの。退屈、だ。
「同じ種、同じ存在なのに、一方は死を悲しみ他方はどれだけ死のうとも興味を示さない。
 常に常にありふれた死があるというに、たった数人を救うために全力を尽くす。あたしの理解を超えているわぁ」
「慣れと親近感、かな。俺も偉そうなこと言えないけど、戦争とか紛争とか貧困で死ぬ人って、やっぱこの国からすると遠すぎるんだよな。それに、それこそ常に死んでしまうから、そういう状況に慣れちゃってる」
「助け合いがどうこう、と言っているくせにね」
「そうそうイイ感じにいかないのが人間、っと?」
 画面に動きが出た。
 キャスターが何やら慌てた様子で原稿用紙を受け取る。テレビ画面にはテロの文字。場所は――日本。
 立風はリモコンを手に取り、音量を上げる。キャスターの声が飛び込んでくる。
『ただいま入りました情報によりますと、永田町で爆破事件が起きたとのことです。建物が崩落する危険があり付近には絶対に近寄らないよう……』
 画面が切り替わる。
 映し出されたのは、崩れた建物。まっすぐな断面。鉄筋もコンクリートも、人や物やその他の一切合財を意識せず“斬り捨てた”痕跡。
 それは、絶対に絶対に、爆発などによって作られた形跡ではなかった。
 レイアも立風も声を出すことができない。
 犯人は決まっている。霊能力者だ。だが、これほどまでに派手な動きをするなど! 社会の裏側の、さらに深いところにいるはずの人間が!
「ただいまー」
 そんな折、のんきな声が玄関から聞こえてくる。立風は思わず振り向きかけ、
「京介! 宗也!」
 レイアの鋭い声に、また画面に視線を戻した。
 そこに映っていたのは、三人の顔。
 一人は青年。少し目つきが悪いが、まあ普通の男。
 一人は女性。青年より少し年齢は上か。女性ながらも凛々しさがある。
 一人は少女。無表情でこちらを見つめる姿は、どこか機械的。
『警察当局は主犯を雨雲京介と断定。警察の公式発表によりますと、犯人による犯行声明が届けられたとのことです。詳しい内容はまだこちらに公開されておりませんが――』
「ふうん。雨雲京介、ね」
 おそるおそる、立風宗也が振り返ると、雨雲は笑っていた。
 そう、笑っている。この状況で。
「敵もさるもの、かね。灰塚が裏切った以上、灰塚を殺すことができる人はそうそういない。だからといって、ここまで派手な手段を使ってくるとは思わなかったけど……。
 どうやら、本格的にバレるのを恐れない方向で進むらしいね」
「ってんな冷静に分析している場合か!? お前、テロ事件の犯人にされちゃったんだぞ! しかも、めちゃめちゃ被害が甚大じゃないか!」
「わかっている。未曾有の大事件になるだろうね」
 日本でも今まで何度かテロ事件は起きている。死人が出たこともある。
 だが、建物が崩落するほどの大きな事件が起きたことは一度たりともない。今、テレビ画面に映っている光景は、アメリカで起きた同時多発テロを連想させる。
 あまりに。あまりにも、被害が甚大すぎる。犠牲者は、十や二十ではきかない。
「笑えてくるね。僕をあぶり出すためだけに、これほどの被害もいとわないなんて」
「言ってる場合か! 早く、どっか逃げろ! ここにもすぐに警察が来るぞ!」
「わかっている。立風、お前も一緒だ」
「はぁ? って、ああ、そうか……」
 立風はここ数日、雨雲たちと一緒に寝泊りをしていた。それを近所に吹聴して回ったわけではないが、彼らを目撃した人はいくらでもいることだろう。
 警察がここに来れば、立風も事情聴取を受けることになる。あらぬ疑いをかけられ、場合によっては冤罪なんて可能性もありえない話ではない。
 今は、逃げるしかないのだ。五人揃って。
 味方はいない。助けてくれそうな人もいない。五人だけで、疑いを晴らす必要がある。たった五人で。
 キャスターはまだ何事かを叫んでいるが、もう誰も聞いていなかった。この段階で得られる情報に、必要な情報は存在しないだろう。
「向こうが僕らをここまでコケにしてくれたんだ、こちらから返礼する必要もあるだろうね」
「……京君。何を、考えてるの?」
「決まっているだろう、日向」
 そう、相手はこちらに仕掛けてきたのだ。それも名指しで、無関係な人間を巻き込むような、最低の方法で。
 ならば、こちらも相応のものを返さなければいけない。
「乗りこむよ。月宮の屋敷に」