「俺は今、割と幸せだ」
 とあるビルの屋上で、立風はそんなことを言い出した。
「……お前が変態だということは前々から知っていたけど、そこまで重症だとは知らなかったよ。自殺した方がいいんじゃないのか? 世の中のために」
「お前ほどじゃない。だってさ、俺の人生でこれだけ女の子と長い間、接触していたのは初めてなんだぞ!? これを喜ばずして何を喜ぶべきか!」
 ぐぐっと力説する立風。雨雲はそんな彼を見ても、ため息しか漏れない。
「灰塚。背負わせておいて言うのもあれだけど、不満に思ったらどっかに捨ててきていいからな」
「了解」
「え? いや、マジでやんないよね? この状況で放置されたら死ぬよ、俺?」
 灰塚は無感動に立風を眺め、また地図に視線を落とす。
 彼女は今、現在地から月宮邸までの最短ルートを検索中だった。直線で向かってもいいのだが、そのルートにはまず間違いなく月宮の部隊が待ち構えていることだろう。それは避けたい。
「京君。数少ないお友達なんだから、大切にしなきゃダメだよ」
「日向もなにげに酷いことを言うね……」
「いや、お前に友達が少ないのは事実だ。てか俺しかいないだろ」
「ノーコメントとしておこう」
 否定する要素はあるのだが。
「あんたらって仲が良いのか悪いのか、よくわからないわねぇ。人間ってそういうもの?」
 少し離れたところに浮いているのはレイアだ。彼女は日向や灰塚のように人を背負ってここまで来たわけではないが、いくらかの荷物を持ってもらっている。
「お互い、気心が知れているから、こういう冗談も言えるのですよお嬢さん」
「あっそ。とりあえず、その気持ち悪い顔をやめなさい、宗也」
 そんなレイアを眺めていた雨雲は、ふと問いかける。
「レイア。少し真面目な質問をしてもいいかな?」
「聞くだけは聞いてあげる」
「ここまで僕らに付き合う必要はないのに、どうして同行する?」
「あら。迷惑かしら?」
 正直。
 いや、言いたかったけれど。けれど。人間は、時に言葉を選ばなければならない。
「あたしはね、一年くらい一人でふらふらしていたけれど……、ここ数週間の方がよほど面白いわ」
「命の危険があっても?」
 現実問題、今の彼らはとても安全とは言えない。
 月宮の部下に会えば即戦闘となるだろう。それは平和な日本において、ありえないほど危険な状況。
 加えて、全国各地、どこにでもいる頼れるおまわりさんは、今や最高の敵。見つかれば逮捕は免れない。逮捕されるということは特定の場所に拘留されて動きが取れなくなるということであり、そこを襲撃されれば……。以下、堂々巡り。
 月宮の部下たちが徘徊している以上、安全な場所はもはやどこにも存在しないのだ。
 退け続けることでしか、命を保つことはできそうにない。
 そんな状況、けれど精霊様には笑うほど面白い冗談でさえなかったらしい。鼻を鳴らされただけで終わる。
「あたしにとっては、面白くない方がよほど問題。どうせ死になどしないのだもの」
「――死なない?」
「あら、言わなかったかしらぁ?」
 初耳。そういえば、食事をしているところは見たことがない。
「精霊が全てそうなのか、あたしだけなのかは知らないけれどね。たとえばこの腕。切り落としても血も流れず、あたしがそうと意識すれば元に戻るわぁ」
 便利な体である。
「塔原、だったかしら? 灰塚の元お仲間。あの子の剣ではあたしは死ななかった。最高に絶望していたわね、彼女。面白かったわ」
「性格悪いな……」
「何か言ったかしら、宗也」
 いいえ何も。
「要するに、君は物理的な攻撃では死なないということか?」
「さあ? ま、そうなんじゃないかしらね」
「つまり、いざという時はレイアを盾にしてぐおっ!」
 三撃。むしろ惨劇。
「女性を盾にするとはなんて野郎だ! お前を盾にするべきだろうがどう考えても!」
「京君っ!」
「どうして、このあたしが盾なんかにならなきゃいけないのかしらぁ……?」
 意外と、敵は内側の方が多いのかもしれない。
「……君たちね、現状はすごく危ういわけなんだが、その上でこんな風に遊んでいていいのかな?」
「遊んでいるのはどっちだよ。んで、そろそろオッケー、かな?」
 灰塚が顔を上げていた。
 無表情のまま、そっと口元に指を持っていく。
「――八名。東西から。まだ少し距離はあるけど」
 さっと、全員の顔に緊張が走る。
「姿、確認できるか?」
「少し待って」
 灰塚は黒いバッグから、愛用のライフルを取り出した。手早くスコープを取り付け、覗き込む。
「駄目。確認ができない」
「ふむ。まあ見えないものは仕方ない、こちらから遊びに行こうか」
「何もわざわざケンカを売りに行かずとも、素直に逃げればいいんじゃないのかしらぁ?」
「死中が最も生きやすいんだよ、普通は」
「……?」
「東西から挟み撃ち。じゃあ南北に逃げたら? 逃げ遅れれば東西からの攻撃を喰らう上、下手をすれば待ち伏せされている。あまりにリスクが高すぎる」
 だから、敵陣突破。
 元より部隊の戦闘力はさほど高くない。灰塚と日向の二人がいれば、そうそう負けることはないだろう。
 ならば、各個撃破が最善。
「そうと決まれば即行動、だ。頼むよ、君たちが頼りだ」
 雨雲の言葉に灰塚と日向、双方が頷き――なぜだかお互いに顔を見合わせ、渋い顔をしていた。

 そこは、どこにでもある街並み。
 サラリーマンが早足に歩き、女子高生たちが楽しげに談笑しながら行き交い、母親がベビーカーを押している。
 どこにでもある、平凡なる場所。その中を、二人の女性が歩いていた。
 片割れは野戦服姿に身を包んでいる。戦地では目立たぬその服装も、これほど平和な町の中ではむしろ人目を引いていた。いや、むしろ背中に負っている巨大な包みの方が注目を集めているやもしれない。
 その連れは、パンツスーツを着込んだ女性。性別を感じさせない服装ではあるが、その物腰は柔らかく、所作に無駄がない。それは意識することによって誰でも得られる、しかし大半の人間が持たない美しさであった。
「氷室」
 野戦服姿の女性――小鉄は、隣を歩く仲間に話しかける。
「お前は私のこと、嫌いだろう」
 氷室は答えなかった。構わず、小鉄は話し続ける。
「お前は灰塚とは別の意味で狂信的だ。灰塚が月宮を神のように崇めていたなら、お前は月宮を心の底から愛していると言える」
「……」
 なおも沈黙する氷室。その横顔を盗み見ながら、小鉄は語る。
「だからこそ、月宮の信頼を多少なりとも勝ち得ている私を、お前は嫌っている。心底な」
「それが、何か」
「ようやく口を開いたな」
 にやりと笑う小鉄。けれど氷室は、そんな仲間のことなど欠片も見ようとしなかった。小鉄もまた、すぐさま表情を引き締める。
「お前が私を嫌うのは別に構わない。実を言えば、私もお前のことが好きなわけじゃない」
「そうでしたか」
「ああ。だけど、私はお前も仲間だと思っている。対等な存在だと」
 ぴくり、と氷室のこめかみが反応する。知っていて、しかし小鉄は気付かぬように言葉を続けた。
「私は今まで仲間が死ぬ様を何度も見てきた。望まず死を与えられたバカたちだ。自ら戦場に立っている以上、同情の余地などないが……、だが、それでも人の死というのは心に響く」
「何が言いたいのです?」
「死ぬ瞬間というのは、自分で決めたいものだな、ということだ」
 小鉄は背中に手を伸ばす。巨大な包み。その中身は、武骨な鉄の塊。
 ずっしりと重いそれを、小鉄は苦もなく抱える。彼女の霊力は、ひどく単純な意味しか持たない。
「死んだら何にもならん。それで終わりだ」
「死ぬことを恐れているのですか?」
「ああ、怖いよ」
 死ぬのが怖くないのであれば、戦いなどしない。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。お前は幸せか?」
「月宮様にお仕えできるのです。これ以上の何を望みますか?」
「はは、そうだな」
「話はそれだけでしょうか」
 小鉄が答えずにいると、氷室は冷たい視線を小鉄に向け――直後、コンクリートが弾け飛んだ。
 周囲で起きる小さな騒ぎ。何事か、と集まって来る人々。
 それらを、しかしその中心にいる小鉄は意識しない。彼女はただ、空を見つめていた。彼女の『仲間』が飛び去った空を。
「生きるためには、やむなし……、なのかな」
 小さく呟き、彼女もまた跳ねる。