氷室はレイアを追わなかった。一人で何ができるのだ、という意識もあったろうし、それ以上に灰塚や日向とのにらみ合いの中、不用意に動くことはしたくなかったのだろう。状況が再び固まる。
「氷室真冬、といったね」
「ほう」
 氷室の視線が雨雲に向く。――ここで名乗れば、あるいは立風は無事で済むだろうか。少しだけ、そんな考えが頭をよぎる。
 いや、ここでバラしては駄目だ。せっかく立風が敵を引きつけてくれたのに、ここで自分の存在を明かしては無意味。
 彼は今、命懸けで、『雨雲京介』を守ろうとしている。
 雨雲の内的葛藤を知らぬまま、日向は興味深そうに雨雲を見つめた。
「見たところ霊力は持たぬようですが……、あなたもご存じなのですね」
「古い家柄らしいね」
「ええ。もっとも当代である私以外、誰も生き残ってはおりませんが」
「生き残って、いない?」
「父も母も、若くして旅立ちましたので」
 親の話をしている間にも、氷室の表情は変わらなかった。口元に浮かんだうすら笑いは引っ込むことを知らない。もっともそれは雨雲の場合も同じだろうから、人のことは言えない。
「古い家柄の生き残りともなれば、こんなところで血を絶やしても仕方ないんじゃないのか」
「ご心配なく。こんなところで死ぬようなことはありえませんので」
「なら逃げればいい」
「残念ながら、それもできませんので」
 押し問答。突破口は見えない。
 いや――?
「ッ!!」
 最初に気付いたのは灰塚。索敵能力に最も優れた彼女だからこそ気付いたのだろう。遅れて日向も氷室も気付く。
 笑みを浮かべたのは、ただ一人。
「らあああああああああああああああああああああああああああ!!」
 遠くから近づく声、おたけびが誰の耳にも届いた時、動けなかった三人が同時に跳ねた。その間隙を埋めるように、空から衝撃が飛来する。
 爆発。
 コンクリートの塊が壁を叩き、近くに転がっていた何がしかは全て吹き飛んでいく。もちろん、そのあたりに立っていた人間も。
「くっ!」
 転がり、雨雲は慌てて起き上がった。落ちてきた、そう、まさに文字通りの意味で『落ちてきた』ものを見る。
「久しぶりだな、灰塚。元気にしていたか?」
 飛来した人物は平静な声でそう尋ねた。
 人物。
 野戦服に身を包み、長大な斧を手にした、大柄な女性。服の上からでさえわかる筋肉は雨雲の倍はありそうで。単純な腕力でさえ、彼が勝つ要素はないだろう。
「小鉄……」
 灰塚は落下してきた人物を見て、目を見張った。
 あるいは予想すべき事態だったかもしれない。いや、予想していたのかもしれない。ただ、認めたくなかっただけで。
 灰塚とて、旧知の仲間と戦いたいわけではないのだから。
「ふむ」
 小鉄は周囲を見渡す。自分を囲むように日向、灰塚、雨雲が立っている。いつの間にか、氷室の姿は近くにはなかった。
 その視線が、この場で唯一の男のところで止まる。
「なるほど、お前か」
「お初にお目にかかる。立風宗也だ」
 この場は芝居で通さなければならない。問われる前に、雨雲はそう答えた。だが。
「嘘つけ。お前が雨雲京介だろう」
 小鉄は、そんな嘘など軽々と見破る。
「なにせ、灰塚が雨雲だけを逃がすなんてありえない」
「それは、どういう意味かな?」
「そのままの意味だよ。灰塚は素直で優秀な子だ。お前に説得されて寝返ったのであれば、お前を置いて敵をひきつけるなんてこともできない」
「なるほど。よく観察している」
 それが、今はとても厄介だ。
 彼女は説得しがたい。灰塚とは別の意味で信念を持っている。灰塚が月宮を信奉していたように、彼女は自分自身の知識と経験を信じている。歴戦の兵だからこその自信だ。
 長年の歳月をかけて作り上げられた自信は、そうそう簡単に崩せるものではない。
「雨雲京介、か。お前には興味があったんだ。灰塚は迷惑をかけていないか?」
「助かっているよ。彼女の索敵能力、中遠距離における戦闘能力は、今まで僕らが持っていなかったものだ」
「それだけか?」
「……さてね。それ以上は秘密としておこう」
 ふふ、と小鉄は笑う。それは、どこか母性的だった。
「お前、素直だなぁ」
「初めて言われたよ。友人にはよくひねくれていると言われるんだけど」
「私から見れば、お前も素直な子供さ」
 小鉄は巨大な斧を肩に担ぐ。灰塚と日向にも緊張が走った。
「灰塚。前に私が言ったことを覚えているか?」
 唐突に。彼女はそう問いかけた。
 灰塚は銃を構えつつ、じっと元の仲間を見つめる。
「生き死には、他人が決めることじゃない」
「正解だ。戦いとは愚かだよな。お互いが命を張り合い、生死を共にする。まったく馬鹿げている」
「そう思うなら、引いて」
「そうもいかない。月宮が望むこと、望む世界、望む未来、それを体現してやると約束したからな」
 説得も不可。
 なら、やるしかない。
「久しぶりに見てやる。来い、灰塚」
「わかった」
 銃撃。
 弾丸が、しかし斧を盾にする小鉄には届かない!
「そら!」
 撃ちながら転がる灰塚を追うように、爆風が吹き抜ける。
 これだけの至近距離、銃弾をかわすのは容易ではない。だが、銃弾は鉄の塊を撃ち抜くほどの貫通性も持たない。
 小鉄はうまく斧を盾にしながら、灰塚との距離を詰めていく。
「甘いぞ灰塚ぁ!」
 小鉄は、まるで灰塚の銃がどこを狙っているのか、知っているように動く。いや、実際に知っているのかもしれない。
 灰塚なりの癖、思考、それらを読んで銃弾を防いでいる。そうでなければ、いかな経験や勘があろうとも、銃弾を全て防ぐなどという人間離れした技を披露できるとは思えない。
「灰塚! 日向と交代!」
 雨雲は叫ぶ。灰塚は銃弾で足元を撃ち、後退。すぐさま日向がフォローに入る。
 刀と斧が激突。動きが止まった。
「ッ……!」
 日向はそれ以上、押し込めていない。“断つ”能力において日向は誰にも負けない自信があるが、彼女の斧とは通う霊力の量が違いすぎる。
 日向の刀は、どう転んでも小鉄の斧とは重量が違いすぎた。軽すぎる。
「腕力、霊力、あらゆる点においてお前は私に勝てるようには見えないな」
「霊力の熟練度では負けないわよ」
「そうか。なら斬ってみせろ」
 力を込める。それだけで日向の顔に苦痛が浮かぶ。汗が吹き出し、全身の筋肉が悲鳴をあげた。
「灰塚! 援護!」
 銃口が小鉄に向く。瞬間、小鉄は力を弱め日向の後ろに回った。
「ふっ!」
 束縛されなくなったことで、日向は小鉄と素早く切り結べるようになる。だが、それがかえって邪魔だ。
 灰塚の銃では、めまぐるしく入れ替わる小鉄と日向の位置を見切って割り込むことができない。スナイパーとして優秀でも、こればかりは予想しきれない!
「頼むぞ、日向……」
 今や、小鉄を倒せるか否か、それは日向次第であった。