携帯電話を手に取り、ボタンを押し込み、耳に当てる。 『あー、もしもし、立風か?』 聞こえてきたのは聞き慣れた友人の声。いや、あるいは、彼にとって自分など友人ではないのかもしれない。 あの男に友人はいない。 「よう、生きてやがったか」 『それはこちらの台詞だ。今、どこにいる』 「なんか公園の近く。ぶっちゃけどこかわからん」 『お前が今、手に持っているものは何だ。地図くらい出せるだろう』 「めんどくせーな。じゃ、場所をメールするから、迎えに来てくれ」 『わかった、じゃあ頼むぞ』 「あ、ちょい待ち。日向さんに代わってくれ」 『ん? まあいいが……』 音声が途切れる。待つ間もなく、低めの女性声が聞こえてきた。 『はい、もしもし』 「あ、日向さん? 悪いね」 『別にいいけど……、どうしたの、立風君』 「DDクラブは殺人者のグループだ」 『――え?』 「いいから聞いて。雨雲は殺された人間に対して責任感を覚えている。あいつがDDクラブにこだわるのは復讐のためだ」 『復讐?』 「残ったDDクラブメンバーは、例の霧島社長のデータを見る限り三人。それが誰なのか、いまだにわかっていない。どうも今までと毛色が違う感じがするんだ」 『それって……』 「うん、その三人を殺さない限り奴は止まらない。だが、もしも殺し終えた時、あいつはどうなる? 今の全てを失い、生きる意味も失うだろう。何もかもを失くしたあいつに待つのは、身の破滅だ」 『そんなこと絶対にさせない!』 「ん、そうだな。そう言ってくれる人間が必要なんだ、あのバカには。 あいつの闇は人と接しなければ晴れない代物だ。君が、あいつだけの誰かになってくれ。頼むよ」 『立風く――』 返答は聞かなかった。未練が残る。 ぱっぱと操作し、終え、携帯電話を閉じる。手に持っていても仕方ないのでポケットに押し込んだ。単独ではまだ歩くことさえ困難な状態。逃げることなど到底不可能。 「そもそも女の子を置いて逃げるなんて論外だしね」 「それは覚悟を決めたと解釈してよろしいでしょうか?」 「よろしくないねぇ」 氷室は特段、慌てた様子がなかった。もう立風は逃げられないことを知っているのだろう。レイアが倒れた今、彼女を阻むことができる者などいないのだ。 「それにしても、意外でした。あなたは霊力を使わないのではなく、使えないのですね?」 「どうしてそう思うんだ?」 「先程の精霊との戦闘において、あなたは協力しようとしませんでした。それ以前にも、たかだか霊力兵程度にそこまで傷つけられている。まともに霊力を操れるならば、そんなことはありえません」 「……正解」 バレた。 そろそろ隠すのも限界だと思っていた。頃合いか。 「霊力も使わずに抵抗しようなどと、そのような無謀な考えを持っているとは思いませんでしたよ」 「使えないものは使えないんだから仕方ない。俺だって霊力が使えるなら楽だったんだけどねぇ。きっとモテモテだ」 「……? よくわかりませんが、いずれにせよ、今のあなたには我々に抗する力がない。日向雪乃や灰塚と別れたのは失策でしたね」 失策どころか、最善策だ。雨雲京介を生かすためならば。 「――ったく、なーんで俺があんな連中のために死ななきゃいけないんだか。だいたいさ、あいつ、すっげー性格悪いんだぜ? そりゃ頭は悪くないかもしれないけどさ、そんだけだっての。人間ってもっと中身で見るべきじゃね?」 「不条理などいまさらでしょう。この世界に平等などない」 「そうそう、それがムカつくんだよな。このリア充どもめ。お前らが充実しているぶん、こちとら悲しい思いをしなきゃいけねーってのに」 でも、と立風は口を歪める。 「そんなもんなんだよな。生きたい奴が死に、死にたい奴は生きる。それでいいのかもしれねえ。死にたい奴なんてのは無理やりにでも与えてやらなきゃ本当に生を捨てちまう。生きたい奴はどんな時も諦めねえ。だから、生き残れる可能性が出てくる」 「可能性など。そんなもの、存在しません。希望の光は降り注がない、だからこそ、月宮様が世界の希望となるのです」 「はっ、月宮が? そんなことを考えているとは、俺にゃとても思えないけどね」 「それはあなたが愚かだからですよ。さ、それでは、そろそろ――」 「氷室さん!」 後続。 氷室は軽く舌打ちしつつ、部下を出迎える。手に持つ武器はそれぞれバラバラの四人。リーダー格が周囲の状況を見渡し、唖然とする。 「氷室さん、まさかこれ、雨雲京介が……?」 「いいえ。そこで気絶している精霊の仕業のようです」 そこで初めて気付く。腕を失い、うめいている仲間の姿。 「元子!」 仲間の名を呼び、駆け寄る。すぐさま止血するが、失った血液は戻らない。息は荒く、おそらく、もがれた腕は二度と戻ることはないだろう。 「こ、れ……!」 「いい加減にしなさい。現在、我々の最優先事項は雨雲京介の無力化です。味方の手当ては、彼を殺してからになさい」 氷室が指し示す先、そこに、立ち上がることさえできないほど弱った青年がいた。小隊長はその姿を見やり、 「え?」 部下の声を耳にする。 「雨雲、京介?」 「何よ、雛」 西洋剣を手にした霊力兵は、青年の顔をまじまじと見つめる。彼女とて記憶にあるのはほんの一瞬の出来事、確証など持てないのだろう。だが、いや、確かに彼女は見ているのだ。 「氷室さん、彼が、雨雲京介なのですか?」 「他の誰だと言うのです」 「誰だか、知りません。少なくとも、あたし、この人の顔を知りません」 その言葉の意味に真っ先に気付いたのは小隊長、遅れて氷室も気付く。 彼女は唯一、雨雲京介の顔を間近に見ている! 「ホテルで見かけた時はすぐ護衛の女にやられちゃいましたけど、その、だいぶ違うと思います。雰囲気とか、顔も。背もこんなに高くなかったと思いますし、その――」 「まさか」 氷室の視線が立風に向く。彼はにへらと笑い、肩をすくめた。 「バレちゃしょうがない。初めまして、レディ。俺は、立風宗也。雨雲京介の唯一にして無二の友人さ」 騙された。 また、騙された。 騙された騙された騙した奴がここにいる! 目の前に! 「き……」 「き? きゃーカッコいい?」 「貴ィ様ァああああああああああああああぁぁぁぁ!!」 爆発した氷室の感情。それは誰にも止められない。 氷室の拳は常人には成しえぬ速力をもって立風の体を――貫通した。 「ふざ、けないで、頂きましょう」 引き抜く。 立風の体は静かにコンクリートの上に倒れ、そのまま赤い水たまりを作っていく。 流れ出る生命を止めてくれる人間は、今、この場に誰もいなかった。 「氷室、さん?」 声をかける部下。その声もどこか震えている。おびえているのだ。彼女の激昂、彼女の感情が暴走した時の恐ろしさを知っているからこそ。 普段は冷静沈着。よくできた従者である彼女は、反して胸の内に強い感情を持っている。逆なですれば、比喩表現でなく自分の首も飛びかねない。 「……すぐに戻ります。雨雲京介、まさかあちらだったとは」 「は、は? し、しかし彼はどうするのです?」 「放っておいても構いませんが……、そうですね」 一瞥した氷室の顔に、暗い影が宿る。その目は決して人間など見ていなかった。 人間が人間を見つめるのに、あんな目ができるものか! それができるのであれば、彼女はもはや人間の世界で生きていける存在ではない! 「ぅ……」 それは、実の部下でさえ恐怖するほどのもの。彼女と共にいれば、自分は確実に死ぬことになる。 元子の腕がもがれていたのも、案外、この女がやったことなのでは? ――小隊長がそう思うのも無理からぬことであり、事実、彼女自身が手を下しているのだ。精霊を気絶させる、そのためだけに。 「これだけの屈辱を与えられたのです。せっかくですから、苦しんで死んでいただきたいところですね。多少ならば時間を置いても、もはや瑣末なことでしょうし」 言わなければよかった。 小隊長は、心の底から後悔していた。 |