途中に妨害はなかった。 雨雲京介を手に入れたからだろうか、部隊の人間にさえ会わなかった。日向たちは灰塚が案内するまま、例の屋敷に向かう。 屋敷の近くまで来たところで、さすがに三人も足を止めた。 高級な住宅街なのだろう。隣家も屋敷同様に広い敷地を持ち、家の高さに至っては、月宮の屋敷よりも高い。おかげで玄関やその他の出入り口が見て取れた。 部隊の人間が見張りをしている様子もない。警戒などまるでしていないようだった。あるいは、相手にもしていないのか? 「誰も来ないわねぇ。つまらないわ」 「いや……、来ている」 レイアの言葉に、すぐさま灰塚が否定を返す。 ちょうど、玄関の扉が開いた。中から出てきたのは、使用人。 「氷室ッ……!」 止める間もなかった。日向が飛び出す。灰塚は軽く息を吐き、狙撃銃を構えた。レイアは興味深そうに日向を眺めている。助けに行く様子は、なかった。 「ねえ、灰塚。この家が月宮の家なの?」 「そう」 「立派な家なのね。それに、古いわ。前に誰かが住んでいたのかしら?」 「そう聞いている。詳しくは知らない」 灰塚自身、月宮以外の人間に興味はなかった。だから聞かなかった。 「地下にも広い空間がある。そこに手術室や実験室、牢獄なんかも作られている。部隊は普段、そちらにいる」 「あら。牢屋で兵士を管理するのね」 「彼女たちは、五星と違って権限を与えられていない。それに、月宮がその気になれば、いつでも殺せてしまう」 「爆薬でも埋め込んだのかしらね。ん、まあ、その可能性はあるのかしら?」 月宮のやりそうなことだ。そう思い、レイアはちらりと灰塚を見下ろす。 気付いているのか、はたまた関心がないだけなのか。灰塚は特に反応も示さず、氷室を狙っている。今の彼女ならば、昔の仲間も撃ち抜けるだろう。 殺せるかどうか、それは、知らないが。 「そうねぇ。生きていれば京介はここにいる。なら、そんなことは『どうでもいい』わね」 くすっと笑い、レイアはさしあたっての戦いを見下ろす。 氷室と日向。 共に霊能力を持つ旧家の末裔が向かい合う。 先の戦いで、両者の戦闘力は互角だった。いや、強いて言えば優位に立っていたのは氷室だろう。それだけに、今の氷室も精神的な余裕が垣間見える。 対する日向。こちらは氷室のことなど見ていなかった。屋敷を見上げ、そこに大切な人の影を探す。だが、ここからは人の姿は感じられなかった。 「いらっしゃいませ。ただいま、私どもの主は接客中のため、お会いすることができません。お引き取り願えますか」 「京君はここにいるのね?」 「その質問にお答えする義理は持ち合わせていないと考えますが」 「京君はここにいるのね?」 重ねた質問。それ以外に問いかけることはない、と言いたいわけか。 「仮に、いない、とお答えした場合は?」 「嘘なんでしょ?」 初めて定型外の言葉が返って来た。これは、何を言っても意味はないだろう。議論の余地がない。 なら、戦う他には排除する方法があるまい。 前回は少し遠慮もしたが、今回は死力を尽くして戦うつもりだ。この先、守れねば月宮のところまで、この狂犬のような女が辿り着いてしまう。ここで余力が残らなければ灰塚も精霊も止められなくなってしまうが、この女を通すことだけは考えられない。 「それにしても、因果なものですね。霊力を持つ家系はもうほとんど残っていないのに、残る両者がこうも対立せねばならないとは」 「それが何? もともと潰し合うような関係だったってのに」 「……そうですね。現代社会にて、霊能力は特別に必要なものではありません。それでも需要に対して報いようとすれば、競合することになるのは、あるいは自明の理かもしれない」 「そんなこと、どうでもいい。京君、いるんでしょう? 出して。素直に返してくれるなら戦う必要もないんだし」 日向に表情がない。そのことに、氷室はようよう気付く。以前は、どちらかといえば腹芸の苦手なタイプに見えた。それがポーカーフェイスを保っている、その意味。まさか心理戦を仕掛けてくるとも思えない、が、警戒だけはしておこう。 内心で決めながら、氷室は次の言葉を考える。 「はい、確かに雨雲京介は当方にてお預かりしております。が、我が主が彼に用があるとのこと。お返しするわけには参りません」 「そ」 日向には、それ以外の情報など興味はなかった。 「――ッ!?」 氷室の脇をすり抜け、玄関をくぐり抜ける。 反応、できなかった。日向雪乃が隣を通ったというのに、氷室は指一本さえ動かせず、彼女はさらりと死線を通り抜けてしまった。 日向は特に何をしたわけでもない。ごく自然な風に屋敷の中に入っていく。 氷室に油断はなかった。いつものように警戒し、いつものように反撃できる体勢を整えていた。なのに、どうして、こうもあっさりと? 「くッ……!」 深く考えている余裕は、今の氷室にはなかった。慌てて振り向き、日向を止めんと構えかけて、気付く。 左腕の感覚がない。いや、それどころか、 「何も、ない?」 ない。ようやく、気付く。 自分の左腕が欠落している。ずっとそこにあったはずの、腕が、 「あ……」 転がっていた。そして腕からは赤い液体が。 血が。 「あ、あ、ああああああああああ!!」 全く気付けなかった。その事実を理解し、しかし氷室は恐れも何も持たぬまま、ただ激昂する。 「わ、たしの、腕を!! 貴様ッ!!」 氷室が冷静でいられたなら、今の日向に手を出すことはしなかったろう。 前の戦いでは互角だった。あれから幾日も経っていないのに、これほどの差がつくことは、冷静に考えればありえない。だが、彼女は現実に腕を奪われた。その状況を鑑みれば、ここで手を出すのは無謀以外の何物でもない。 だが、今の氷室は冷静ではなく、日向はそれ以上だった。 「邪魔」 氷室真冬が、日向雪乃の太刀筋を見切ることは、ついにできなかった。 「お?」 時間にしてほんの一瞬。 そして、それだけの時間があれば、日向は相手の体を三十の部品に切り分けることができた。 肉片が玄関先に崩れ落ちる。それは固形の物体が転がる音というよりも、びしゃびしゃという液音に近かった。玄関に広がる血だまり。その中心にあるのは、すでに人であった頃の原型はとどめていない何か。 ここまで切断されてしまえば、もはや元が何であったか判断することは困難だろう。どころか、直視にさえ耐えない。 けれども日向は何の感情もなく氷室だったものを見つめる。自分と同じように生まれ、けれど違う道を選んだ存在。同じことはひとつ、人を人と思っていないことだけ。あるいは、霊能力者は皆がそうであるのかもしれない。 死者に対して、日向は小さな声で漏らす。 「京君がいないのに、不殺を貫き通す理由なんて、ない」 日向は殺すことをためらうから殺さないわけではない。ただ、雨雲が殺さないと決めているから、自分も殺さないようにしているだけだった。人を殺さないで、言葉だけで圧倒する彼に習っているに過ぎなかった。 殺すことに対して迷わない彼女は、一対一であるならば誰にも負けない。負けたことがない。 氷室が生きている間、その事実を知ることは、ついぞなかったけれど。 「不幸な人。けれどとても幸福な人。愛する人のために生き、そして死ねた。なんていう、望外の喜び」 それ以上、日向が氷室に興味を持つことはなかった。すでに死んだ人間のことを振り返るほど、清廉潔白に生きてきたわけではないから。 ふい、と向きを変える。視線は階上に向いていた。初めて訪れた屋敷、間取りも何も知らないが、なんとなく、そこに雨雲京介がいる気がしていた。 「待っていてね、京君」 血の海を背に、日向はまっすぐに突き進む。見送ったのは、死者と呼ぶこともできない肉片だけであった。 |