日向はゆったりと部屋の中央まで歩む。月宮はその様子を面白そうに眺め、雨雲はそれとは正反対の表情をしていた。
「京君、帰ろう。ここは、京君のいるところじゃない」
「その前にやらなきゃいけないことがあるんだよ、日向」
 どんな理由があろうとも。
 月宮を生かしておくわけにはいかないのだ。
「DDクラブのメンバー、その片っ端から殺し、あるいは滅してきた。精神を壊した奴もいるし、社会的に抹殺され自殺した奴もいる。そいつらに報いるつもりなんて毛頭ないけど、こいつを生かしておくわけにはいかない。こいつを殺して、ようやく完成するんだ。僕の物語は」
「ということは、ボクに従うつもりは欠片もないということかな?」
「愚問だな、月宮」
 雨雲京介は立ち上がる。日向と肩を並べ。
 そんな雨雲を横目で見る日向。瞳には、いつもの色が戻りつつあった。
「京君! こんなのと関わっちゃいけない。殺さなきゃいけないなら、すぐ済むから」
 一閃。
 血が壁に飛び散る。最速の一刀が月宮を襲い、
「……え?」
 その首、その体は何の傷も持たない。
 刀にこびりついた氷室の血が壁面を、床を汚すだけで、肝心の月宮には欠片も傷つけることができない。
「どう、いうこと?」
「あいつが、そういうところのもの、ということさ」
 雨雲があごで指すと、月宮は鼻を鳴らした。
「人をまるで化物のように言わないでもらいたいものだね」
「お前が化物でなければ何だ。いかな人間も、首を切断されて生きることなどできやしない」
「それは君が知っている生物の論理に過ぎない。新しい存在に対し、既存の枠組みに当てはまらないからといってそれを化物と呼ぶのは性急に過ぎる。まさにボクは君が言うところの『そういうところのもの』だが、だからといって人間性を持たないわけじゃない」
「それだけの問題、か? お前のしてきたこと。それを、人は人道的とは呼べない。人の道に外れたもの、すなわち外道だ」
 もっとも。
「それは、お互い様だけどな」
 雨雲とて、綺麗に生きてきたわけじゃなかった。
 龍介が死に、その後から自分の力だけで生きられるような力を身につけ、そしてDDクラブの会員を探し求めてきた。
 見つけた会員には残らず制裁を加え、年端もいかぬ少女たちが受けた苦しみの何分の一かを与えてきたのだ。
 それは、人にはとてもできないことばかりだ。
「なるほど、なるほど。君は従わない。だが、ボクを殺す手段も持たない。堂々巡り、かな? いや――そもそも交渉にならないのだが」
 ぱりん。
 突如、この場に似つかわしくない清廉な音が響く。その正体に真っ先に気付いたのは、持ち主である日向だった。
「ッ!? か、刀が……!」
 折れていた。いや、折られたのだ。根元から、目には見えない何かしらの『力』によって。それを行った者が誰であるのか、考えるまでもない。
「ボクは君たちを殺す手段を持ち合わせているが、君たちはボクを殺す手段を持たない。条件は平等じゃない」
「死ぬか従うか選べ、と?」
「話が早いね。君の能力を過信するつもりはない。君が何をしようともボクが死ぬ可能性は皆無だ。だが、不利益を被る可能性は多分にある。実際、今もそうだしね。
 君たちが敵になった時、愚にもつかない馬鹿たちとは違い、実際に脅威とまでは言わないでも、そういった類の存在になりうる可能性がある。可能性があるなら、潰しておくべきだとは思わないかな?」
「回りくどいことを言うなよ。要するに、邪魔者は部下以外にいらないって言いたいんだろう」
 だが。
 月宮は、雨雲という男を、過小評価している。
 雨雲京介はまっすぐに月宮を見つめる。その瞳、その視線は、思わず月宮の背筋を寒いものが通り抜けるほど、冷たく凍っている。
「僕はお前に従うつもりなど、毛頭ない。何度も言わせるな」
「……っ」
 うまく言葉を紡げない。
 この男を見て、何と言えばいいのか。何と呼べばいいのか。
「僕は死にたくないわけじゃない。死ねないだけだ。DDクラブさえ存在しなければ、僕はいつ死んでも構わない」
「京君!?」
「黙っていろ雪乃!」
 思わず手を出しかけた日向さえ、その手を止めてしまう。
 彼が名前で呼んだのは、初めてだった。
「龍介が残した遺産だ。僕が継いだ、最低最悪の存在だ。あいつが残した負の遺産は、その全てを排除する。それまで、僕は死ぬわけにはいかない」
「だが……、どう、するという。確かにDDクラブの創始者はボクだ。だが、それだけに過ぎない。会員はまだ残っているぞ」
「はっ、どうかな? 霧島の持っていた名簿は僕らが手に入れた」
 白桃に惨殺された、哀れな男。だが、その持ち物は役に立った。
「残るメンバーは三人。詳細は不明。だが、僕には残る誰かが誰であるのか、だいたい予想がついている」
「ほう」
「一人はお前。一人は氷室だ。お前に関しては言わずもがな。そして、お前がいる場所に氷室がいないということはありえない」
「氷室と出会う以前の話かもしれないだろう?」
「氷室がいなければ、お前はDDクラブを創設する必要がない。そもそも霊力の実験どころの話じゃないんだからな」
 言うなれば、全ては月宮と氷室の出会いから始まった。
 氷室の持つ霊力を基礎に、霊力を発生させる存在を作り上げ、その実験材料を集めるためだけに孤児院が、その材料を処理するためだけにクラブが作られた。
 元凶は、あるいはこの男などではないのかもしれない。
「そして、残る一人。龍介じゃない、隠れた一人なんて、もはや探すまでもない。すでに死んでいるからな」
「――死んでいる?」
「京子。そうだろう?」
 その名前。京子という名前は、衝撃を与えた。
 月宮の、今まで優位を信じて疑わなかった表情が微かに歪む。日向が受けた衝撃は、それ以上であった。声も出せず、口をぱくぱくを開閉させている。
「……龍介はその名前を出したことはなかったはずだが」
「龍介に聞いたんじゃない。本人に聞いたんだよ」
 その中で、雨雲だけは冷静だった。知っている彼は、知らぬ人間とは違い、ショックを受けることはない。
「僕が木の根からでも生まれたと思っていたのか? 人間である以上、両親は必ず存在する。父親は雨雲龍介。では、母親は? 幼い僕が疑問に思わないとでも、本気で考えたのか?
 京子は滅多にこの家には寄らなかった。バレたくなかったんだろうな。だが、たった一度だけ、僕も顔を合わせたことがある。その時に聞いたよ、僕の姉に当たる人物がいるとね。
 龍介が死んだ後、世界中を見てきた。僕の体験した世界は、あるいは世界では当然のことなのかもしれない、その疑問は拭えなかった。子供の見た狭い世界、それが全てである世界の中では、人の命なんてゴミ屑でしかなかった。
 世界を見て、僕は知った。僕の見て居た世界は当然なんかじゃないと、それはおかしなことであると。だから僕は日本に戻り、DDクラブを殺す決意をしたんだ。だが、決定的な問題があった。クラブのメンバーは調べる方法もないわけじゃなかったけど、あいつらに対する戦力、あの外道共を抹殺する手段がなかったんだ」
「君自身は、人間だからな。暴力という手段に訴えられた時、君はクラブのメンバーに対抗できるとは限らなかった」
「その通り。だから探したんだよ、僕の姉を。実際に戦闘力を有する、純粋な霊力の家系、その末裔をね」
 雨雲は横目に日向を見る。
 末裔は、カタカタと震えているように見えた。
「日向京子。その娘、雪乃。両親が惨殺され、その復讐のために日本各国を巡る。その情報だけは、手に入った」
 青年の腹違いの姉は、弟を見つめる。
「それ、じゃあ、え? 嘘、でしょ? 京君が、おか、さんの、え?」
「京子が殺されたのは、おおかたお前だろう、月宮?」
「失礼だな。その件に関してはボクは関与していない。氷室の独断だよ。龍介がいない以上、京子は邪魔にしかなりえないと言ってね」
「そうなのか。まあ、つまり、そういうことだ。雪乃」
「そういう、ことって……」
「黙っていたのは悪かった。だけど疑問に思わなかったのか? どうして僕がわざわざ殺人鬼であった君に接触したのか」
 沈黙する。考えたこともなかった。
 京介という人間とはだいぶ付き合ったが、そういえば、どうして出会ったのか、そんな簡単なことはついぞ考えたことはなかった。
「でも、京君は、霊力なんて使えないじゃない!」
「そりゃそうだ。霊力の強さは血の濃さに比例する。京子は確かに霊能力者だったけど、龍介は能力的には一般人だからね。半分では霊力を発現するには至らなかった、ということなんだろう。
 ――いや」
 雨雲の瞳が輝く。
 今度こそ。今度こそ、月宮は自分の背中を駆け巡るそれについて、考えないわけにはいかなかった。
「ある種の形では、使えたみたいだけどね」