「お得意の嘘、というわけでもなさそうだね」 月宮の背筋を駆け巡る冷たいなにか。それは、悪寒と呼ぶべきもの。 月宮は、彼が考える限りでは全てが自分に劣る相手に、恐怖している。暴力、知力、それだけでなく状況も環境も条件も、何もかもが自分に味方している、この場において! 月宮清史郎が雨雲京介に恐怖する理由など、何一つとして存在しないというのに! 「この場で嘘は何の意味も持たない。口先だけの何かは、確実に証明しうる力の前では無力だ。君が何を言おうともボクの暴力を覆す手段は存在しない以上、全くの無意味だ」 「そうかな?」 雨雲は、あくまで余裕。それは虚栄などではなく、本心からのもの。 少なくとも彼は、月宮に手傷を負わせられる何かについて心当たりがあるのだ。 だが、精霊たる彼を傷つけるなど、可能なのだろうか? 自分は様々な実験を行った。その結果として、自分を傷つけうる存在は、自分を生み出したものくらいだろうと結論付けるに至ったのだ。 そう、つまり彼は、月宮清史郎を生み出した存在について知っているのだ。しかも、それはごく近くにいる。そして、先程の発言。 重ねて考える、その結果。 しかしそれは、ありえるのか? ――理論的には、ありえない話じゃない。霊能力は血筋、すなわち、親が霊能力者であるならば、子供も霊能力者になる可能性はあるのだ。 そして、これが肝要なことらしいのだが、ただの霊能力者では精霊は生まれない。実際、あれほど量産した霊能力兵、あるいは霊能力者の歴史を紐解いても、どこにも精霊を想起させる現象や伝承は存在しなかった。 ただの霊能力者では駄目なのだ。灰塚だけが持っていた、他の霊能力者にはない特別な何か。それがあったからこそ、自分以外の精霊が生まれた。レイアが生まれた時、それが精霊が生まれる条件であり、あるいは死ぬ条件にも関係する。 しかし、それがわからなかった。 おいおい学んでいけばいいだろうと灰塚を泳がせ、月宮自身は記録をにらんでばかりいた。ついでに雨雲も手に入れば恩の字だったのだが……、まさか、こんなことを言い出すとは。 月宮は自分の中で答えを出し、雨雲に向き直る。それは時間にすればほんのわずかなものだったが、雨雲はそれだけの時間に、笑みを深めていた。 まるで、その時間こそが最高のご褒美であるかのように。 「可能性論で言うのなら否定はできないね。だが、それだけだ。現実的に考えてそれはありえない」 「霊力の世界で生きる存在が現実的とは、恐れ入るね」 「だが、事実でもある」 「なら試してみればいい」 すっ、と雨雲が手を広げる。その姿は全てを受け入れる聖母のようにも見える。だが、その表情はむしろ正反対の性質を持っていた。そう、さながら、悪魔のような。 「僕を傷つけてもお前自身には何の影響もないと考えるならば、僕を傷つけてみればいい。何も殺すまでしなくてもいい、腕の一本、足の一本でも奪ってみせればいいだろう。お前にはそれだけの力があり、それを行使できるだけの条件がそろっている。そして、それだけでお前は自分に影響があるかどうか、判断できるはずだ」 「……ッ」 たったそれだけ。敵の体を欠けさせるという、戦闘においてはむしろ当然の方法。 だが、月宮はそれを実行することはできない。 「ふふ、そうだ、できないだろうな。お前には。自分が生き残るためだけに、不確定な状況を確定的な状況にするためだけに、これだけ多くの人を傷つけ殺してきたお前。そんなお前が、僕を傷つけられるはずがない」 可能性がないのであれば。これが雨雲の妄想だと断言できるのなら。月宮はすぐにでも力を使っていただろう。雨雲の腕は、日向の刀なんかよりよほど簡単に折れたに違いない。 だが、そうするわけにはいかないのだ。彼が言うことが本当だったなら、それは必ず自分に跳ね返る。月宮が最も恐れること、すなわち、自分の体を傷つけることになってしまう。 彼にはそれができない。だが、雨雲京介という狂った男には、それができる。 「くそっ……!」 このままでは、雨雲は自分の命さえ投げ出してこちらにダメージを与えてきかねない。こういう状況こそが、最も忌避していたものだというのに! イチかバチか、試してみるべきか? いや、そんなことせずとも構わない。また泳がせれば……。 いやいや、雨雲京介を手放せば、この敵はどのような手段を用いてくるか想像できない。DDクラブ抹殺だけを願うこの男のことだ、自殺さえしかねない。それで、関係がなければそれでいいだろう、だが、もしも関係していたら! その瞬間、自分は消滅してしまう! あんなにも恐れた、死が訪れる! 「ちょ、ちょっと待って!」 割り込む存在。月宮の意識からはすっかり外れていた存在。そういえば、日向なんて奴もいた。 「どういうことなの!? 二人とも何を言っているの!? 何もわかんない、何もわからない!」 ヒステリック。 日向からすれば理解できないことが多すぎて、訳のわからない事実ばかりを突き付けられて、混乱している日向。その姿が、今は、とても癪に障る。 「黙れよ、日向雪乃。ボクはお前に遠慮する理由はないんだ」 「何を言って――」 「煩い、と言っているんだ!」 一閃。 衝撃が部屋を吹き飛ばす。比喩でも何でもない、暴力の嵐。その塊が一か所で炸裂したような。 強い、強い破壊の意思が、建物を変形させ、そこにあったものを吹き飛ばし、跡形もなくなるほどに砕いてしまう。 「それで満足か?」 それでも、声は消せなかった。 特に意識したわけではなかった。それでも、声の持ち主を殺すこと、傷つけることはできなかった。それは、無意識の防衛本能だろうか。 「日向を視界から抹消して、それでお前の全ては終わりか? 月宮清史郎」 半壊した部屋。どこか傾いたその場所で、雨雲京介は同じように立ち、同じように笑っていた。親しい仲間が消されたというに、それを彼は意識しているように見えない。 それは、月宮の理解を超えていた。 「な、んだ、お前は、何なんだ! 日向が殺されても笑っていられるのに、どうしてDDクラブだけは認められない!」 「……さあね。正義漢、ってタマでもないんだけど。でも、そうしないと、悪夢は終わらないんだ」 ぎしぎし、と部屋が泣いていた。この部屋はもういくらも耐えられないだろう。 だが、どちらも部屋を出ようとはしない。いや、出られないだろう。月宮は雨雲を放置できず、雨雲は扉も存在しないような部屋から出るほどの身体能力がない。 「さて、月宮。お前は自らミスを犯した。この屋敷は遠からず倒壊するだろう。だが、お前は僕を守らなければならない。僕が死ぬことはお前が死ぬことと同義だからだ。それがフェイクだろうと考えつつも、お前はそうせざるをえない」 「ぐ、そっ……!」 「どうする?」 選択肢なんて。 存在、しないじゃないか。 ……いや。 「お前は、自分の考えに自信を持って言えるのか?」 雨雲が押し黙る。ようやく自分にイニシアチブが戻って来た、その実感を月宮は手に入れる。 「お前みたいな人間が自分の考えに自信を持っているのなら、躊躇などせず自分を傷つけるはずだ。そうして、結果としてボクを殺す。なぜならそれがお前の最終目的であり、お前はそのために手段を選ぶ人間ではないからだ。 だが、お前はそれをしない。それはとりもなおさず、お前自身が自分の考えに自信を持っていないからじゃないのか?」 「――その点は否定できないな」 「はは、そうだろう。そうだ、お前は自分で自分の考えに疑問を持っている。ただの詭弁であると。だからこそ行動には移せない! ミスをすれば死ぬのは自分だけ、成功したところでボクを道連れにできるだけなんだからなぁ!」 ぎしぎし、音が大きくなってきた。床も振動をしている。崩落が近い。 「で、だからどうした」 「……何?」 「僕は自分の考えを正解だと断言することはできない。そうするためには、この体を傷つける必要がある。 だが、その可能性が残っていることも事実。別にお前が有利になったわけじゃない。ただ、誰も正解を知らないという事実を再確認したに過ぎないんだ」 ぎしぎし、ぎしぎしぎし。 時間はないのに、どちらも動くことができない。 「さあ、ショータイムだ。お前に与えられた選択肢は二つ。 ひとつ。僕の考えがただの妄想だと決めつけ、僕をこの場で殺す。 ひとつ。可能性が正解だったという最悪の場合を想定し、僕を生かす。 どちらを選んでも構わないぞ、僕に抗う力はないんだからな。選択肢はお前だけが持ち、そして、猶予はない」 ビシリ、とどこかで大きな音が響いた。 月宮の顔が赤くなり、青くなり、白くなる。 そして、とうとう建物の限界が訪れた。 壁が、床が、梁が。自重に耐えきれず、その重みに任せ崩れ落ちる。 |