静かだった高級住宅街に破砕音が響く。それは、二度目の衝撃。
 今度は大きかった。ずずん、と腹の底を揺らす嫌な重みが響き、住宅街の一角で土煙が舞いあがる。
 建材が瓦礫と化した中、灰塚は慌てて降り立つ。
 ここまでのことが起きるとは、想定外。氷室の死体を片付けるのに手間取ったこともあるが、もう少し早く動くべきだったか――。
 後悔を抱えつつも、灰塚は自分の霊力をフルに活用し、自分以外の霊力を察知する。そして、見つけた。
 崩れた建材を力任せに排除し、その下に埋まる霊力を掘り出す。
「うっ……」
「日向!」
 見えてきた。日向の背中。その下に、求める青年の姿もあった。
 灰塚は二人を引き出す。こういう時、霊力は便利だった。
「ああ、灰塚、か。助かったよ」
 埃まみれの顔で弱々しくも笑みを放つ。その顔は安堵させると同時、不安も煽った。
「大丈夫? 怪我は?」
「さすがに、無傷とはいかなかったさ……。だけど、日向のおかげで、命だけは拾ったよ」
 その日向も、無傷とはいかなかったようだ。その身で雨雲を庇った日向。建物の崩落を察知した瞬間に飛び込んだのだろう、体勢は不十分、そのせいで彼女自身を庇っている暇はなかった。
 肩口は大きく抉られている。死ぬほど大きな傷ではないが、戦えるほど小さな傷でもない。その他にも、体の各所を痛めているらしかった。動きはにぶく、小さな傷もところどころに見える。
 その下になっていた雨雲は、全身を見る限り無事だった。ただ、その右腕は、日向でも庇いきれなかったようだ。
「京、君……」
「いや、君の責任じゃない」
 灰塚の目から見ても、それはもうどうにもならない状態であることは予想できた。
 なにせ、ぐちゃぐちゃだ。伴う激痛は並みではないだろう。雨雲の額には脂汗が浮かび、苦しげに息を吐いているのに、いつもの表情を変えることだけはない。
 その精神力。それは、怪我に慣れている灰塚でさえ驚嘆する。
「すぐに病院へ。表の病院がまずいのなら、裏の病院でもいいから」
「そういうわけにも、いかないさ。化物が、まだ、残っている」
 雨雲には目に見えないものを感じとる能力などない。なのに、彼にはそこに敵がいることがわかっているらしかった。
 雨雲の視線が、崩れた屋敷の一角に向く。日向も灰塚もそちらを見やる。
 瓦礫の一部が動いた。それは大きな動きとなり、突如、跳ねあがる。
「ッ、ああああああ!!」
 這い出てきた月宮。彼も雨雲同様に汚れ、顔色は悪いようだったが、特別に怪我をしているようには見えなかった。
 そう、怪我をしていないのだ。雨雲は腕を失ったというのに。
「は、ははは、はははははははははっははははははあはははははははは!!」
 哄笑が高く響く。
「やった、やったやったやったぞ! やはり嘘だった、お前の妄想に過ぎなかったな雨雲京介ぇ! どうだ、ボクは無傷だ、何のダメージも負っていない! お前は傷ついた、だがボクは傷つかなかった! どうだどうだどうだ、この勝負、ボクの勝ちだ!!」
「そう、かな?」
「負け惜しみはよせ! 今のお前には何の策も残っちゃいない! 詭弁も尽きた! 今の今の今のお前は無力だ! 無力無能無意味! この、雑魚め!!」
「馬鹿だな、月宮。僕は最初から無力さ」
 ずっと、力がないことを嘆いていた。
 それでも、やりたいことがあったから。だから、嘘を吐くしか、なかった。
「これでボクの勝利だ! お前を殺し、誰も彼も殺してしまえばいい! そうしてからゆっくりと研究をしてやる! そうさ、誰もボクを殺すことなんて、できないんだからなァ!!」
「そうかしらねェ?」
 月宮は勝利に酔い痴れていた。盲目的になり過ぎていた。いつもなら平然と行っている周囲への警戒も、忘れるほどに。
「あたしは、あんたを殺せる」
 天から舞い降りる矛。
 その槍撃は、光る軌跡を残して閃く。そして、腕が。
「――?」
 腕が、空中を舞っていた。
「な、に?」
 くるくるくる、と腕が回転している。そのありえない光景を、月宮は呆然と眺めていた。
 再生しない。いつもならすぐさま元に戻るはずの腕が、傷つけられる者など誰もいないはずの精霊の腕が、戻らない。
「これも仮説に過ぎない、が。精霊ってのは、想いの結晶。言うなれば、人間の、希望だ。人は精霊を殺せない。人は、希望を、殺せないんだ。それは、次元の違いと、考えてもいい。三次元の人間に、二次元や四次元の存在は、殺せない」
 次元が違えば互いに干渉することさえできない。むしろ、それができている精霊の方がおかしいのだろう。
 人間は生きる限り希望を失うわけにはいかない。だから、殺せない。
 でも。
「同じ次元に生き、同じ存在である精霊は、精霊を殺すことが、できる。それは、想定して、然るべき可能性だ」
 レイアの矛が月宮の腕を、足を貫く。
 無抵抗に、月宮は傷つけられていく。
「あんたはねぇ、やり過ぎたのよ。あたしは別にあんたになんか興味はなかった。でも、この男、面白いの。壊されちゃ、あたしが困るのよねぇ」
 矛を突き立てる。腹腔を貫き、月宮の体が地面に縫い止められた。
「う、そだ……」
「現実、さ」
 血は流れない。そのせいか、現実感がなかった。
 だが、今も月宮の体が再生する気配はない。レイアの与えたダメージだけは確実に蓄積している。
 破壊力だけならば、本当に全力で戦闘するつもりになれば、月宮も抗えたかもしれないのに。なのに彼は言葉を選び、戦おうという意識を持たなかった。そのせいで、彼は抵抗できないほどに弱ってしまった。
 もはや彼は何もできない。
「月宮。お前と僕は、ひどく似ている。だが、違う点も多い。その最たるものが、お前は力を持ち、僕は、力を、持たなかったということだ。
 お前は力に頼り、部下を信じず、使い捨てた。当然だな、お前は、自分以下のものを、頼らなかった。だが、僕は違う。何も持たない僕は、何もかもを必要とした。日向、立風、灰塚、レイア。誰が欠けても、僕は、ここに立っていられなかっただろう。
 言うなれば、チェスと将棋の違いだ。お前は、駒を使い捨て、斬り捨ててきた。もはや、キングを守る駒はいない。お前が、捨てたからだ。だが、僕はお前の捨てた駒を拾った。だから、こうして、王手をかけられる」
 逃げ道はない。レイアの長い黒髪がなびく。その姿は、死神のようにも見えた。美しい死神。
 月宮は、自分を殺す少女を見ていなかった。雨雲のことも灰塚のことも日向のことも視界に入れず、ただ空だけを見つめていた。
 空は、青かった。こんなにも、青い。
「ボク、は、死ぬのか?」
「そうさ」
「死ぬ? この、ボクが? どうして?」
「誰もが死ぬ。そういうものだ」
 ほろりと。
 流れたものは、涙と呼ぶべきものなのだろう。
「嫌だ。死にたくない」
「月並みなことを、言うのなら……。それは、お前が殺した、大勢の人たちが思ったことだ」
 本当に、多くの命が失われた。失われ過ぎた。
 もはや取り戻すことはできない命。償うことさえできないだろう。人の命はひとつ、常にひとつで、ひとつ以上の価値を持たない。たったひとつの命では対等になりえないほど多くの命が失われたのだ。
「京介。……いいのね?」
「すまない、レイア」
 雨雲の揺れる瞳が、月宮を――自分がずっと憎み続けてきた敵を見る。激痛を噛みしめ、耐え、伝えるべき一言を伝える。
「月宮。死ね」
 躊躇はなかった。
 レイアは手を握る。それは彼女の能力発動の証。
 お別れだ。
 砕け散る。血は流れず、悲鳴もなかった。そんな暇もなかった。
 その死は、死体さえ残らない。文字通り滅され、砂となって消えていく。
「いけない、な」
 その死を眺めていた雨雲京介は、ぽつりと呟いた。
「悪党の死に様にしては、美しすぎる」
 彼が見届けた、いくつもの死とは違っていた。
 計算され尽くした芸術のような、輝く死。醜く苦しんだ少女たちにはなかった、安らかな死。
 やがて、それも終わる。残るものは本当に何もなく、月宮が存在した証は、この世には残らなかった。
 全てが終わり、雨雲は、がっくりと首を折る。
 糸が切れたように、青年は気絶した。