ナミが目覚めて真っ先に見たものは、ショウのどアップだった。 「ぬわっ!?」 「うひゃっ!?」 ショウとナミ、共に飛びのく。そしてお互いに深呼吸。 「め、目が覚めたんですね、ナミさん……」 「な、何で覗き込んでんのよ。驚くじゃないの」 ふー、と深く息を吐き切ったところで、状況確認。 そこはバトルタワーの会議室。相変わらず窓ガラスは割れてぴゅーぴゅーと風が吹き込み、砕けたガラスの破片は相も変わらずそこらに転がっている。 めちゃめちゃになったソファ、テーブルなどの家具。ブレーンたちの姿はそこにはなく、部屋の中にはショウとナミの二人だけだった。 「何、これ。どんな状況? まったく意味不明なんだけど」 「たいしたことじゃないんですけどね」 ショウはぽんぽんと尻を払って立ち上がる。白衣がはらはらと風に揺らめいていた。 「ネジキとイオリを、クロツグさんとコクランさんが協力して捕まえました。爆弾もダリアさんとケイトさんが協力して大半を撤去済み。残るいくらかの場所をカトレアさんがスタッフと一緒に捜索中です」 「にゃんだとぉ!? 私が寝てる間にどんだけ進んでんのよ状況ッ!!」 つまりはほとんど解決済み。なんという役立たず。というか本当に何もできちゃいない。 と、そこでふと冷静になったナミ。ぐるんと頭を回転させ、 「って待ちなさいよ。そんなの、ありえるわけないじゃない。爆弾は見つけられないからヤバいって話だったんだし、ネジキとイオリに至ってはどこに行ったかさえわかんないじゃないの。それに、ダークライは?」 「大丈夫です。何もかもうまくいっています」 「……それは、誰にとって?」 事ここに至って、ナミもようやく気付く。 ショウは白衣なんて着ていなかった。 ショウはカトレアを『さん』付けで呼ばなかった。 何よりショウは、こんな事態の時、じっとしていられるような奴じゃなかった! 「正体見せろこの偽物ヤロー!」 鉄拳パンチ。ポケモンの技でもなんでもない、ただの殴り込み。 ナミの一撃がショウの顔面を捉え、きりもみ三回転、青年の体をぶっ飛ばす。 ごろごろと転がったショウは壁に激突し、そこでようやくストップした。 「テメエこの……。乙女のハートをもてあそびおって……」 「――乙女のハート、ね」 むくり、と『ショウ』が起き上がる。その顔に、殴られた時の傷跡など微塵もなかった。 「こんなことをするのが乙女なのかな?」 「乙女のハートは拳と紙一重なのよ。それより、何よあんた、殴られておいて、なんで平然としてるわけ?」 ナミの拳に遠慮はなかった。全力で本気のストレート。ポケモントレーナーとしてはあるまじき直接攻撃。だが、それは女性にしては、鋭い一撃でもあった。少なくとも、無傷で平気な顔をしていられるほど軽い一撃ではなかった。 対する『ショウ』は肩をすくめ、 「さあ? どういうことだろうね」 言って、にやりと笑みを浮かべた。 嫌らしい、胸が気分悪くなような、およそ人が受け付けることのできない笑みであった。 「あー、じゃあもういいわ。ショウ出しなさいショウ。あんたじゃなく」 「ショウ? あんな青年、もうこの世にはいないよ」 「はぁ? 何を言ってんのよ。ショウがあんたみたいのに負けるわきゃないでしょ」 「いいや、死んだよ。どんな風に死んだのか、見せてあげようか」 言った次の瞬間、『ショウ』の右腕が吹き飛んだ。鮮血がナミの顔にも降りかかる。 「まずは右腕だ。これでポケモンを繰り出すのに余計な時間がかかり、反撃できなくなる。次は左腕」 宣告通り、腕が飛ぶ。ナミの顔が徐々に血の気を失っていく。 「これでもうモンスターボールを扱うことはできない。よって反撃は不能。その上で、頭と心臓、腎臓を貫く。急所だ」 何かの技なのだろうか。黒い槍が、『ショウ』の頭を、胸を、腹を貫く。さらに噴き出した生温かい液体が、ナミの体にかかった。 「ッ――!!」 悲鳴さえ、あげることはできなかった。 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」 『ショウ』の狂ったような笑いが、空も地面もない空間に響き渡った。 山小屋の中は、様々な機材によって埋め尽くされていた。 何の機器なのか、見ただけで判断することはできなかった。様々なグラフがモニターに浮かび、あるいは文字列が走り、専門的な略語が明滅する。 木目も新しい床の上にはコードが蛇のように這いずり、足の踏み場もない。仕方なしに、イオリはコードを踏みつけてネジキに近づいて行く。 「実験、うまくいってるみたいっすね」 「当然だよ。このぼくが行う実験だよ? 失敗するはずがない。だからこそ、この実験を邪魔したあいつらはバカなんだ。これさえ成功すれば、あの生体兵器さえ完全なるコントロールが可能だったはずなのに」 イオリは思い浮かべる。とある組織が作ろうとしていた、人工的な伝説級のポケモン。そのあまりの戦闘力を抑え込むことができず、組織の支部が一つ、壊滅するほどの事態に陥った。 確かに、彼のこの装置があれば、あのポケモンも制御しきれたのではないかと思う。 イオリはネジキが操作する装置を見上げた。 巨大なビーカーにコードを繋いだような、不思議で異様な装置だった。ビーカーの中には何かの液体が詰められ、その中で奪ってきた伝説のポケモンが浮かんでいる。 ダークライは目を閉じていた。何かの夢を見ているのかもしれない。もしそうだとするなら、それは確実に悪夢だろう。イオリにはそう感じられた。 「――イオリ」 突然、ぽつりとネジキが声を漏らした。それは問いかけている風でありながら、どこか、ひとりごとのような雰囲気があった。 「お前はぼくがロケット団にいた頃からの知り合いだ」 「そうっすね」 「あの研究所は最高だった。潤沢な資金、法律も倫理も飛びこえた実験。人間としては最低かもしれないけど、研究者としてあれ以上の環境はなかったと言っていい」 「そうなんすか。オレは諜報専門だったから知らないんすけど」 「だが、あのサカキがロケット団解散を言い渡し、ぼくは研究所を失った」 「そうっすね。そして、ロケット団の残党は散り散りになったっす」 「せっかくの、ぼくの研究も水の泡だ。ここまで研究してきた成果。これが成功すれば、戦わずして、ぼくらはジョウトを支配する。あの男さえできなかったことだ」 一瞬、ネジキの瞳に宿った色。 暗く黒く、それでいて燃え盛るような熱。 恨み、怒り、そういったものを燃料にした炎のような色。 「皆が認めざるをえない。このぼくが天才であると。このぼくの研究は間違っていなかったと。このぼくこそが、ジョウトの、いや、世界の支配者にふさわしいと!」 イオリは、空想を口にするネジキを見ていた。少年は気付いていない。ネジキの目に宿っている、その哀しい何かを。 「ちょっと、外に出てくるっす」 「……どこに行く」 初めて、ネジキの側から反応があった。ちゃんと聞こえていたのか、と内心では思いつつ、 「なに、ちょっと外の空気を吸いがてらの偵察っすよ。どうせ、こっから先にオレみたいな学のない人間ができることはないんすから」 「謙遜するな。医学界の元ホープが使う言葉じゃあるまい、学がないなどと。お前がバカだったら、ぼくはお前を選んだりはしなかった」 「そうすかね。オレは、けっこーバカっすよ」 その言葉の含みまでは、ネジキにはわからなかった。 知識はある。頭脳明晰、という言葉が最もよく似合う男だ。だが、その半面、彼はひどく欠けているものもある。 イオリの目には、それが映っていた。 「心配せずとも、邪魔はしないしさせないっすよ」 イオリは扉から外に出た。空を見上げる。雲ひとつない空がどこまでもどこまでも広がっていた。 遠くに目をこらす。まるでその先に、敵の姿が見えると信じ切っているかのように。 いや、彼は信じているのだ。必ずやここに来る者がいると。 「ネジキが天才だってこと、優秀だってことは認めるっす」 ぽつりと呟く。そして、モンスターボールを取り出した。 「けど、あんたにゃ支配しきれないような連中もいるんすよ。オレはそれを知っているんす」 だから。 彼はいずれ来るであろう敵に備え、空をにらむのだ。 |