もう何度目だろうか。 「ッ……!」 目の前で、『ショウ』の肉体がバラバラに引き裂かれる。鮮やかな血が飛び散り、地面に、顔に、体に降りかかってくる。 その様を、もう何度、見せつけられたのだろうか。すでに数えることもできないほどだった。 「ったく、しつっこいわね」 ナミの顔にも疲労の色が濃い。それはそうだろう。人の死ぬ姿を何度も見れば、誰だってそうなる。まして、死んでいくのは、自分と最も親しい友人。 「本当に? 本当にそうなのかな?」 頭だけとなった『ショウ』が問いかける。 「俺は本当に君にとってただの友人なのかな? 幼馴染? あるいはそれ以上?」 「るっさい」 ナミは驚異的な精神力で立ち上がると、『ショウ』の頭を蹴り飛ばした。 ごろごろと転がる頭。ははははは、と笑い声がどこからともなく響く。 「この悪夢は終わらない! なぜならばこれが現実だから! 覚めてくれるのは夢だけの話! 現実は決して消えないしなくならない! あはははははははははははは!!」 「うるっさいって言ってんのよ!」 ナミは敢然と立ち向かう。いつものように。いや、いつもよりもなお気迫を前に出して。 「私たちを舐めんじゃないわよ! こちとら冒険するトレーナーよ!? 傷つく覚悟、苦しむ覚悟、どっかで死ぬ覚悟だってとうの昔にできてんのよ! 誰かが死ぬことだってある! 大切な人を、仲間を失うことだってないわけじゃない! そんなのわかってるわよ!」 「だがお前は苦しむ! なぜ守れなかったと! 自分にはそれだけの力があるはずなのにと!」 「そ、れは……」 「そうだそうだ、お前は力がある! 普通の人間よりもはるかに優秀な力だ! だがお前はこの男を救うことなどできやしない! ひゃはははははは、お前は無力だ! 無力だ! 無力だ!」 ナミは強く強く奥歯をかみ締め、拳を握る。血がにじみそうになるほどに、強く。 そして、唐突に力を抜いた。 「そうね。私は無力よ。この状況を打破する何かなんてない」 『ショウ』も押し黙る。ナミの言葉に傾注したいわけではない。彼女の突然の変化に警戒心を抱いた、それだけだ。 ナミはだらりと両手を下げ、 「私は、ショウやカトレアと違って特別な力なんて持ってない。他の人よりほんの少し優秀なポケモントレーナーってだけ。特別に強いわけじゃないし、今までだって何度も負けてきたわよ」 ある程度までは、ポケモントレーナーとしてレベルアップすることもできる。 けれど、ある一定のラインまで到達してしまえば、後は相性と運、そしてその場の判断だけの問題だ。そこに圧倒的と言えるほどの差は生まれる余地がなく、ナミとてクロツグクラスの相手と戦えば、何回かは勝利し、何回かは敗北するだろう。 「私は普通のトレーナー。特別ってわけじゃない」 けれど。 その口元に浮かんだ獰猛な笑み。それが、『ショウ』の背筋をぞくりと震わせる。 「私は、戦いが好きなトレーナーなのよ。そうよ、私はショウと違って戦いが好き。ケンカ上等。拳でわかりあうのだって必要。暴力を暴力として使えるタイプの人間よ」 ナミはぐっと親指を立て、それを下に向けた。 「死ぬなら何べんでも死になさい。何度でも見届けてあげる。そんなんじゃ私は絶対に屈しないから。 覚悟はしてんのよ。ショウが死ぬことだって。私を倒すために、あいつを人質にするような奴がいるかもしれない。私と一緒に事件に巻き込まれて死ぬかもしれない。その覚悟もないのに、首なんざ突っ込まない! ごく普通の私が誰にも負けなかったものは、この覚悟と想いの強さだけよッ!!」 見上げる。暗い空が広がっていた。いや、これは空なのだろうか? 雲でさえない、暗紫色の何かが広がっている。 「いるんでしょう、この『夢』を作ってる奴! ダークライ! いるんなら返事くらいしなさい! こんな下らない夢なんか見せてんじゃないわよ! あんたは何がしたいの! ネジキなんかに惑わされてんじゃないわよ――!!」 ぜーぜーと肩で息をする。返事はない。『ショウ』は相変わらず彼女の前に立ち、空は不気味な色に覆われ、静寂が世界を包み込んでしまっている。 「ったく、なっさけないわねー……」 ナミが次の方法を模索し始めた頃。 空の一隅が、黒く重い色に覆われ始めた。 バトルタワーが黒い何かに包まれている。 それらは、北方から流れてきたらしかった。まるで幽霊のようにふわふわと浮き、頼りなげでありながら、それでいてしっかりとした存在感を示している。 その光景を見守る人はここにはいない。誰も彼もがネジキの策略によって眠らされてしまった今、この園内で動くものと言えば、黒い彼らだけであった。 黒い何かはタワーの内部に侵入を始めた。割れた窓ガラスから会議室の中に。一階の入り口からロビーに。従業員用の通用口から、資材の搬入口から、続々と中に入り込んでいく。 今や、塔は黒い彼らに占拠されつつあった。 そして、そのことに気付いている者は、誰もいない。まだ。 彼は、長いこと夢を見ていた。 幸せな夢だった。どこにいても不幸を招くはずの彼を受け入れ、あまつさえその存在に対して涙まで流すなど。それほどまでに、純粋に受け入れてくれる人が現れるなど。 彼は、そんなことは起こらないと考えていた。だからこそ、あらゆる人から遠く離れた森の中に住んでいた。 だが、違う。 利用するためでなく、珍妙な道具としてでもなく、ひとつの命として、その存在を受け入れてくれた者。 カトレア。主人にして、自分と同じ悲しい力を持った少女。 そんな少女とは正反対の少女が叫んでいた。 特別な力は何も持たない。努力だけで現在の自信と力を手にした人間。常に明るく、言葉も多く、何かにつけて自分の主とは正反対に見える。 そんな少女の言葉だが――やけに、胸に響いた。 それは、昔々、主が彼にささやいた最初の言葉にひどく似ていた。 ナミ。 そうだ、何を迷っていたのだ。今まで何を躊躇していたのだ。 恐れることなど何もない。自分は誰だ。その名は何だ。 その名はダークライ。悪夢を統べる者。 「……何だ?」 ダークライの生体制御を行っていたネジキは、画面に表示されている数値データの揺らぎに違和感を覚えた。 もとより生物、多少の揺らぎは仕方ない。呼吸をするだけで、血液が流れるだけでも多少の変化は起きてしかるべきだ。 だが、これほどまでに数値の揺らぎが大きくなることなどありうるのだろうか? いや。ネジキの計算上、これはありえない。そして、彼の計算は完璧であるはずなのだ。 となれば、これは異なる理由から。 「つまり、反抗しているのだな。ダークライが」 原因は不明だが、何らかの理由でダークライは自意識の奥底で、自分への反抗を始めた。それが数値データに如実に表れているのだ。 「ふん。だが、もう遅い」 すでにダークライの全能力は制御下にある。筋のひとつ、わざのひとつに至るまで、ネジキの命令なしには動かすことなどできやしない。 あらゆる反抗は無意味だ。今のダークライは、ネジキの手の中で踊るだけの哀れな羽虫に過ぎない。 「反抗は意味がない。だが」 うっとうしいとは思う。 ならば。 「ほら」 ネジキがスイッチを一瞬だけ入れた。途端、数値の一部がびくんと大きく跳ね上がり、元よりも小さな値で落ち着く。 「ふん。道具が主に逆らうなんてこと、あっていいわけがないだろう」 その、小さな抵抗程度では、ネジキには何のダメージにもならない。 ――小さな抵抗なら。 ネジキは知らない。ポケモンの持つ可能性というものを。 彼らもまた、人間と同じように成長し、未来を持ち、それを成し遂げるための可能性を秘めているということを。 ゆえに侮る。ポケモンごときに何ができる、という顔で。所詮は獣、自分の力をもってすれば飼い馴らすことができる、と。 そうではないのだ。ポケモンは人に自ら協力しているに過ぎない。ポケモンたちが本気になれば人間の社会などあっという間に砕けてしまうのに、彼らは人間に協力し、共存しようとしている、ということを。 彼は、知らないのだ。その傲慢さゆえに。 |