「な、何よ、これ」
 あたり一面を覆いつくす黒。
 それは、黒としか言えない何かだった。闇ではない。そんなものより、もっとずっと黒い何かが、ナミの周囲を包み込んでいるのだ。
「こ、今度はどんな悪夢を見せようってわけ!? そんなんじゃ絶対に負けなんか認めないわよ!」
 強がるナミの頭に、声が響く。
 ――悪夢ではない。
 ふっ、と。
 一陣の風が通り抜けた。
 思わず目をつむったナミが再び目を開いて見た光景。それは、バトルタワーのはるか上空から見下ろした、フロンティアの光景だった。
「あ、れ?」
 茜色の空。街灯がともり、夕闇が迫りつつある遊興施設を照らし出している。
 そのあちこちに、人が倒れていた。誰もが寝入っているのだ。
「ど、どういう、こと?」
 ――さほど難しいことではない。
 声が導くまま、振り返る。そこに、ナミは黒雲を見た。
 否。それは、雲などではない。雲はうごめかない。
 それは、ポケモンの群れだった。百以上ものポケモンたちが群れ固まって、ひとつの集合体となっているのだ。まるで、生き物のような。
「う、そ……」
 その光景は、ナミにとって予想外のものだった。
 ――仲間が世話になっているらしい。感謝する。
 呟くように言ったのは、先頭の、ダークライだった。
 そう。黒雲に見えたものは、ダークライの集合体。人前に姿を見せるのは珍しいと言われるポケモンが、これほどたくさんいるという事実に、ナミは単純な驚愕を覚えた。
「あ、そ、そか、これ夢か」
 と、ここで我に返るナミ。今までふざけた景色ばかり見ていたせいでそれが当然という風に受け止めてしまっていたが、これは現実の世界ではない、夢の中なのだ。
 先頭のダークライはそんな独り言が聞こえているのかいないのか、そのまま言葉を続ける。
 ――我々も力を貸す。早急に、あの男を倒して欲しい。
「あの男って、ネジキのこと?」
 ダークライは頷く。反対にナミは首をかしげ、
「そんなこと、私に言われたって困るわよ。そりゃ助けてあげたいけど、眠ったままじゃ動きも取れないし」
 ――悪夢はいかようにしてでも覚まさせることができる。だが、その先は選ばれた者にしか行動できない。
「は?」
 怪訝な顔をするナミに、ダークライは指を振る。
 ――ありていに言って、我々はあの男に対抗し得ない。それだけの力を持たないのだ。
「何を言ってんのよ、仮にも伝説クラスのポケモンでしょ? 雑魚の一匹や二匹、ちょちょいとやっちゃえばいいじゃないの。あいつは一人。こんだけ数が揃えば負けっこないじゃない」
 ――力量がない、と言っているのだ。我々は人々の目から逃れるように生き、外敵を眠らせることによって対応してきた。戦闘力など、存在しないのだ。
 言って、ダークライたちは肩を落とす。
 ナミはそんな連中を眺め、はーっ、と長めのため息。
「あんたらねぇ……。おっさんが揃いも揃ってなんて顔してんのよ」
 別に彼らは壮年男性というわけではないのだが、ナミはそんなことなどお構いなしに、
「あのね、戦うってのは力でやるもんじゃないの。心意気なの。そりゃ、私だって力なしで戦えるなんて言うつもりはないわよ。最低限度の力はどうしたって必要になる。けど、本当に必要なのは、相手をどうなったって倒してやろうっていう気概なのよ」
 ナミの長々とした講釈に、しかし疑問符でも浮かんでいそうな態度のダークライたち。
「ああああもうっ! なっさけないわね! いいから、私たちを起こしなさい! そうすりゃぜーんぶ解決してあげるわよッ!」
 ――す、すまない。
 頼んだ側がなぜか圧倒されるほどの剣幕のナミ。その姿が、空が、空間が、歪んでいく。
 今。悪夢が、解ける。

「はっ!」
 目を開いて、ナミは自分の顔を覗き込んでいた者に気付く。
「……」
 そして、問答無用で張り飛ばした。
「っ!?」
 ごろごろとガラスだらけの床を転がり、壁に激突してようやく止まった黒い影。すなわちダークライ。体を起こし、恨みがましい目でナミを見る。
「どっやかましい! 文句を言うんじゃないわよ!」
 別に何も言っていないしただ見ているだけなのだが。
 さておき。
「って、なんじゃこりゃ」
 ナミは窓の外に目を向けた。いや、それ以前に、部屋の中にも黒い集団があちらこちらに。
 夢の中に出てきたダークライの群れが、今、現実に存在しているらしい。
「この方がよっぽど悪夢みたいなもんね」
 体を起こし、確認。全身が動く。問題なし。
「さって、行くか。あんた、道はわかるわね?」
 部屋の中に何匹かいるダークライの内の一匹を連れ、ナミはつかつかと窓に歩み寄る。
「どちらに行かれるので?」
 足が止まった。この声の持ち主は、振り返るまでもなくわかる。それでも、あえて振り向いた。
 コクランもまた、ナミと同じように起き上がっていた。いや、コクランだけではない。クロツグ、ケイト、ダリア、それにカトレアやショウまで。ネジキの策略によって眠らされたフロンティアのトップたちが軒並み目覚めていた。
 ナミはそんな面々をにらむように見つめ、
「決まってんでしょ。ネジキぶっ飛ばしに行く」
「お一人で、ですか? ネジキはもちろん、イオリも優秀なポケモントレーナーでございます。あなたがチャンプといえど、少々厳しいのではないかと」
 ナミと同じように窓際に並び、コクランは言ってのけた。
 ナミはちらりと横目に見て、
「要するに、あんたも行きたいってわけね」
「イオリのことはわたくしめにお任せくださいませ。彼とは相性がよいのです」
「あーそう。どうでもいいけどさー……、ショウ!」
「はい」
 ショウには長年の付き合いで、ナミが次に何を言い出すのか、すでにわかっていた。
 だから、ナミも余計な言葉は続けなかった。ただ、一言、
「後は任すわよ」
 たったそれだけで、彼女たちの間では通じ合うことが可能だった。
 ナミはボーマンダを繰り出す。彼女の空の相棒。大きな翼で中空を駆る四足の竜。
 その背に乗るナミを追いかけるように、コクランもまた乗った。ナミはちらっとだけ後ろを見て、
「あんたは自分のポケモンに乗んなさい。そうでないとスピードが落ちる」
「それもそうですね」
 コクランは猛禽を思わせるポケモン、むくほーくを繰り出した。巨大な翼が埃を撒き散らす。
「それではお嬢様、少々留守を致します」
「……お願い。コクラン、ナミ」
 ナミは軽くウインクし、ボーマンダに指示を出した。
 その大翼が巨体を空に運び、窓から外に飛び出す。
「さ、行くわよ……、私らをバカにしたこと、後悔させてやるんだからッ!!」
 竜と猛禽を、ブレーンたちは何も言わずに見送った。

 空の彼方にナミたちの姿が消えたところで、クロツグはショウを見やった。
「彼女が君に任せると言った、ということは、相応に考えがあるんだね」
 彼が何も言わずにナミを見送ったのは、ひとえに信頼の現われ。目覚めた時に気付いたのだ。ナミを中心に渦巻く、目には見えない気配に。
 それは他のブレーンたちも同様だった。それは、普通のトレーナーには持ち得ないもの。天才と呼ばれるトレーナーでさえ持っているとは限らないもの。
 闘志。戦うという意志が眼に見えるほどの強さを持っていた。その彼女を押し留めることなど、とてもできるはずがなかった。さしあたってはコクランも同行していることだし、大丈夫だろう。
 そして、ショウはそれに応えた。
「ええ、もちろん」
 ショウはかたわらのダークライを見つめ、
「君が、俺たちを起こしてくれたんだよね」
 いかにも、と言わんばかりの調子でダークライが頷く。ショウはにっこりと笑い、
「君の仲間たちは、全部でどれだけいる?」
 ショウの体を淡い光が包んだ。ほう、と誰かが声を漏らす。
 ダークライの『答え』をショウはそのまま耳にした。
「やっぱりね。うん、それなら大丈夫だ」
「どれだけ、いたの」
 カトレアは部屋の中にいるダークライを見ながら言った。今、この部屋の中だけでも数匹のダークライが浮かんでいる。これだけいては、幻という言葉も希薄だ。
 ショウは種明かしする子供のような笑顔で、
「全部で154。僕のサポートがあれば、爆弾を探すには十分な数だよ」

 空を高速で飛ぶボーマンダ。その先を、ダークライが飛んでいる。先導役だ。
 景色はだんだんと山間に近づき、やがて、一軒の山小屋が見えてきた。
「あれね……、ん?」
 山小屋の前から何かが飛び出す。急ブレーキ。
「やーっぱり来たっすね」
「……イオリ」
 このタイミングで出てくるとは。いや、このタイミングで出てこない方がおかしい、か。
 イオリは巨大な四羽のコウモリに乗り、特に気負った風もなく、二人のトレーナーを見つめる。
「いやはや、あんたらが来るとはねぇ。勘弁して欲しいもんす」
「イオリ。ネジキはどちらに?」
「無論、そこの小屋にいるっすよ」
 イオリは背後のアンテナを付けた小屋を指した。
「ずいぶんと優しいのね。私に惚れた?」
「冗談はよしてもらえるっすか。もちろん、決まってるっすよ」
 それは、絶対の自信の表れ。
「言っとくけど、私、強いわよ」
「んなのは見ればわかるっすよ。それに、コクランもいるっすからねぇ……。さしものオレも絶体絶命のピンチってところっす」
 へらへらと笑い、
「けど、ここを通すわけにはいかないんすよ」
 一転、真剣な顔になる。
「クロバット! 『エアカッター』!!」
 先手はイオリ。抗するはコクラン。
「ムクホーク! 『つばめがえし』!!」
 圧縮された空気の刃を、ムクホークの大きな翼が弾き飛ばす。その隙に、ボーマンダが突っ込む。
「いっけー! 『ドラゴンダイブ』!!」
 翼を体に這わせ、勢いをつけての突撃。クロバットは仕方なしにかわす――と、思い込んでいた。
 一瞬、イオリの笑いが垣間見えた気がした。
「受け止めろ! クロバット!」
「えっ!?」
 激突。衝撃が両者を激しく揺さぶる。
「ッ――! 受け止め、たぁ!?」
 まさにその通りだった。ドラゴンの高威力攻撃を受けてなお、このコウモリはひるみも倒れもしない。
「コクランから聞いてないんすか。オレは、防御のスペシャリストって!」
「っ!」
 クロバットの『つばさでうつ』攻撃をぎりぎりでかわし、ナミはイオリから距離を置く。
「焦ってはいけません。彼は強い。こと守りに関しては、特に」
 ナミをかばうように前に出たコクランは、慇懃な礼を行う。
「では、ここから先は、このキャッスルバトラー・コクランめにお任せくださいませ」