空気が重い、という言葉がある。
 実際に空気の重量が変わるわけではない。その場にいる人間の暗い気持ちが沈黙の中に表れること。それを、重いと表現している。
 今、この部屋はまさにそんな感じだった。
「あの、ナミさん?」
「何」
「……いえ、なんでもありません」
 ショウはため息をひとつ、視線を変え、
「えっと、カトレア、ちゃん?」
「何」
「ご、ごめんなさい……」
 なぜか年下に敬語を使ってまで謝ってしまい、ますます空気は重くなる。
 ショウにはいまいち理由もわかっていないのだが、ナミとカトレアの間にある、ある意味で一方的なわだかまりは、やけに大きかった。
 たまらないのはその間となってしまったショウ。向かいに座るカトレアと、隣に座るナミとを見比べ、出てくるのは重苦しいため息ばかりだ。
 どれくらいそうしていただろうか。そんなことがずっと続けばショウの胃にも穴が開いただろうが、その前にナミが口を開いた。
「あんた」
 ナミはまっすぐ、カトレアを見つめ、
「ここのオーナーなのよね」
「その通りだけど、それが何」
「なら、ここを守りたいって思う?」
 カトレアは口をつぐむ。答えに窮したわけではなさそうだが。
「私は、今までヤバい事件にも何度か関わってる。命がけで戦ったこともね。そして、その度に矢面に立つのは私だけじゃない、ポケモンなのよ」
 トレーナーには特別な能力などない。ポケモンに指示し、効率的に戦わせ、勝利を導く指揮官としての役目しかない。それだけに、トレーナーが傷つくことは、ポケモンのそれに比べて圧倒的に少ない。
「だから、私は聞いてるの。今回の事件も間違いなくヤバい。あんたは、私たちをそれだけ危ないところに向かわせることになる。けど、私も事件解決のため、本気になれないような奴のために命をかけるつもりも、かけさせるつもりもない」
「何が言いたいの?」
「要するに、あんたがマジでバトルフロンティアを守りたいのかどうか。私が、私のポケモンたちが命がけで戦うのに値するのかどうか。それを聞いておきたいのよ」
「わたしのため、と言うのであれば、それだけのものはわたしにはないと断言します」
 迷いはなかった。カトレアもまた、ナミをまっすぐに見つめて答える。
「わたしはブレーンたちを信用している。実力だけなら。けど、今回の事件において、彼らだけでは物足りないのも事実。相手があのサカキというのであれば、なおさら」
 ショウはわずかに眉をひそめたが、カトレアは気にせず続ける。
「ですから、あなた方が協力してくれるというのであれば、それは願ってもないこと。ただ、先にも言った通り、わたしにはあなた方が命をかけて守るほどのものは持っていないと断言できる。どうすべきか、それはご自身たちで考えるべき」
 長台詞を終え、カトレアはゆっくりと頭を下げた。
 ショウは、どこかハラハラした表情でナミを見た。無表情のナミは、ふっ、と息を吐く。
「わかった、あんたの覚悟ってもん」
 すっくと立ち上がり、ナミは窓辺に寄った。
 バトルタワーは、フロンティア施設の中で最も高い建造物だ。それだけに、この部屋から眺める景色はすばらしい。バトルフロンティアの全景を一望することができる。
「普通さ、自分に価値がない、なんて言えないわよ。卑屈にならずには。けど、あんたは自分に価値がないって認めたうえで、足りないもんを補おうとしてる。立派なもんよ」
 前髪をかき上げ、ナミは振り返る。
「よーし、覚悟も決まったッ! てなわけで、ショウ、マジでやるわよ」
 ショウは苦笑を浮かべた。そんなもの、言われるまでもない。
「ナミさん。俺はとっくの昔にマジになってましたよ」
「あ、そう?」
 くすっと笑い、ナミは再びカトレアに視線を戻す。
「カトレア。あんたの話を聞かせて」
「わたしの話、とは」
「この施設内に120の爆弾を設置。それは、いつやったんだと思う?」
 カトレアは押し黙った。
「バトルフロンティアはオープン前。入場できる人には制限があったはずよ。そんな中に忍び込み、大小の爆弾を設置できたのって、誰かしらね?」
 それは、限られている。
「少なくても指名手配を喰らってるような男にそんな真似ができるとは思わない。となれば、犯人は確実に内部の仲間がいるはずよ」
「……プレオープン前にフロンティアに入れたのは、ここの建設に関わった業者か、特別な人間だけ」
「建築業者を当たってる暇はないわね。特別な人間ってのは?」
「わたしを含めたフロンティアブレーン。そして、わたしの関係者」
「その、あんたの関係者ってのに心当たりは」
 カトレアは眉をひそめ、
「無限に」
 きっぱりと、そう言いきった。
「わたしの家はシンオウでもトップクラスの財閥。こちらで言えばシルフカンパニーのようなもの。表面的には協力をするけど、腹の底ではねたんでいる人も多い」
「そいつらが、今回の犯行に協力したとなりゃ、そりゃ特定もできないわね」
 つまり事実上、共犯サイドからのアプローチは不可能ということ。
「あの、関係ないかもしれないけど、いいかな」
 ショウは手を挙げた。カトレアは黙って視線を変える。
「シンオウでもトップクラスの財閥、って言ったよね」
「それが何か」
「なら、どうしてここのオープンにカトレアちゃんとコクランさんしか来ていないのかな?」
 今度こそ。
 本当に、カトレアは言葉を失う。
「来てるかもしんないでしょ? ここにいないだけで」
「ナミさん。なんだかんだと言っても、カトレアちゃんはまだ子供です。コクランさんが一人でオーナー側の責任を取るには、事態が大きすぎます。仮に他の経営関係者がいるのなら、その人にも話が通らなければおかしいと思うんです」
「それは、ほら、話を大きくしたくないとか」
「内輪だけで解決できないからこそ、ブレーンの人たちがスタッフに声をかけに行ったんじゃないですか」
 ナミも押し黙る。そういえば、他に誰もいない。
「つまり、ここのオープンには何か、秘密のようなものがあるんじゃないのかなって」
「……それを知って、どうするつもり」
「別に、どうにも。ただ、相手はそういう事情がわかった上で、こういう仕掛け方をしているんじゃないかなって、ふと思っただけだよ」
 一般的に、遊興施設の裏事情などというものは知れるものではない。これはシンオウにいるはずの関係者たちでもそうだ。秘密が大きければ大きいほど、知る者は限られてくる。
 そして、共犯者にその知識があるとするなら。
「少しは、絞れないかな」
 ショウはじっとカトレアを見る。カトレアは沈黙し、
「心当たりは、ある」
 カトレアはポケギアを取り出し、操作を始めた。いくらかの操作を終えたところで、それをプロジェクターに繋ぐ。
 壁面に、人の顔が映し出された。
 ラフな格好をした青年だ。理由はよくわからないが、何かの茎をくわえている。全体的に覇気がなく、けだるい感じが漂っていた。
「彼の名前はイオリ。元はわたし専属の……、医者だった男」
 とても医者には見えないが。
「彼は正確には知らないかもしれないけど、ここの裏事情に関して最も近い場所にいる人物。彼が協力しているのであれば、大抵の説明はつく」
「現在、この人はどうしているの?」
「わたしのところを去って以来、彼がどうしているのか、こちらでは把握していない。彼が辞めたのは一年以上も前だから。ただ、一つだけ言えることがあるとするなら」
 そこで言葉を切ったカトレアは、続く言葉を強調するように言う。
「彼は、トレーナーとしても非常に優秀。防御を主体とした戦闘スタイルはコクランに居並ぶとさえ言われていた」
 それは、ブレーンに等しい戦闘力があるということ。
「厄介な相手ね」
「それは、強さですか。知識ですか」
「どっちも、よ」
 壁に投影されている男を、ナミはイライラとにらみつけていた。

「あーりゃりゃ。ばーれちったっすね」
 会議室の様子を監視していた青年――イオリには、焦っている様子など欠片もなかった。
「ま、いずれバレると思ってたっすからね」
 イオリは、うーん、と背伸びをすると、端末を取り出した。
 それをカタカタと操作する。と、画面にカメラの映像が映し出された。監視カメラの映像をハッキングしているらしい。
「ブレーンたちも動いているみたいっすね。ま、その程度でどうにかできる爆弾じゃないんすけどねぇ」
 パタリと端末を閉じたイオリは、続けてポケギアを取り出した。
「さーて、第二段階っす。うまく行きゃいいんすけどねぇ」
 まるで、成否はどうでもいい、と言わんばかりの口調だった。
 いや、実際、彼にとってはどうでもいいのかもしれない。
「じゃ、行くっすよ」
 一瞬。
 ほんの一瞬だけ、イオリの口元が大きく歪んだ。
 犬歯をむき出しにした、悪魔のような笑顔だった。