バトルフロンティアの南部はアサギの海が広がっている。その先には、大渦で有名なタンバの町並みがあるはずだが……、さすがに海岸から海の向こうまで見渡すことはできない。 代わりに、小さく島影が見えた。うずまき列島。周囲を渦に囲まれた四つの島からなる列島で、中には天然の洞窟が広がっている。 そんな海を見る振りをしながら、その実、コクランは砂浜に素早く視線を走らせていた。 海岸に人の気配はない。それもそのはず、泳ぐにはまだ少し早いし、海を眺めるくらいなら近くにあるフロンティアでも見に行った方がマシだろう。中に入れないにしろ。 ここの海岸は夏場こそ賑わうが、オフシーズンともなれば人がいないのが常だった。犯人も、それを計算に入れているのかもしれない。 コクランの足元には大きなボストンバッグが二つ。その中には、犯人が要求した現金が収められている。 また、バッグには念のため、発信器が取りつけてあった。万一、犯人にバッグを奪われたまま見失ったとしても、それで発見できるはずだ。もっとも、犯人とて発信器は警戒しているだろうから、どこまで通用するかはわからないが……。気休め程度にはなる。 また、コクラン自身にも盗聴器が仕掛けてあった。犯人からの指示を拾うことが目的だ。場合が場合だけに、こちらから指示できるような道具――インカムなどを取り付けることはできなかったが、ほぼ万全な体制と言えるだろう。 そんなコクランからはかなり離れた岩場に、ナミとショウの姿もあった。 「ナミさん。犯人が出てきたからといって無茶はしないでくださいね」 「わかってるわよ、んなこと。私の方があんたより経験豊富なのよ? こういう事件に対しては」 「ナミさんは身代金の受け渡しがあるような事件には関わったことがないじゃないですか」 「うるさい。それは気合よ、気合」 「気合でなんとかされちゃ困るんですよ」 ごちゃごちゃと話しているうち、コクランがポケットに手を入れた。取り出したのは、ポケギア。 『はい、お電話ありがとうございます。キャッスルバトラー、コクランでございます』 『クロツグだ。犯人から指示があった。そこから西に移動しろとの話だ』 『西でございますね、かしこまりました』 ナミはショウと目配せし、先んじて岩場を移動し始めた。見れば、コクランも海岸線沿いに歩いている。 しばらく歩くと、明らかに怪しげなキャリーバッグが置いてあるのが見えた。旅行者が使うような、ゴロゴロと引っ張るアレである。 「犯人からの指示かしらね」 ここからでは遠すぎて、さすがに確認はできない。かといって、出て行ってしまえば本末転倒だ。ここはコクランの機転に任せる他にない。 コクランもまたキャリーバッグを見つけたらしく、しゃがみこんで調べ始めた。 ごそごそと何かをした後、バッグを開いて中を見ている。 「ナミさん。何が入っているか見えますか」 双眼鏡を持つナミに聞くと、 「うーん、と。たぶんポケギアと、モンスターボール、かな?」 コクランは手始めにポケギアを手に取り、どこかと通話を始めた。 『あいよー』 聞こえてきたのは、間延びした、どこか気が抜けるような声。 『あなたが犯人ですか』 『犯人の一人、な。んじゃ、次の指示を出すっすー。そこにモンスターボールが入っているっすね?』 『ええ。そうですね』 『中にはピジョットが入っているっす。お前はそいつの背中に乗ってタンバ方面に飛んでもらうっすよ』 『それだけですか?』 『もう一つ。飛び立つ前に、現金をそのキャリーバッグに移すっす。小細工しても無駄っすよー』 思わず苦笑が浮かんだ。想定していたとはいえ、発信器なんていう小手先の手段は通用してくれないらしい。 『簡単だろ? じゃ、頼むっすよ。次の指示は後で行うっす』 言いたいことだけ言って、通話は切れてしまったらしい。コクランはしばしポケギアを眺めた後、持ってきた三億円をバッグに移し始めた。 現金を全て入れ替えると、今度は中に入っていたボールを放り投げた。 出てきたのは大きな鳥ポケモン。その名もピジョット。カントー地方やジョウト地方ではよく見るポケモンだ。 コクランがその背中に乗ると、ピジョットは一度、大きく羽ばたき――そのまま空に飛び上がった。 「こっから先は私の出番ね」 ナミも腰のボールに手をやる。 「ナミさん、くれぐれも見つからないようにしてくださいね」 「あー、はいはい。わかってるっての」 ナミが繰り出したのは毎度おなじみ、四足竜ボーマンダ。赤い翼の付け根に乗り、ぐっと親指を立てる。 「ま、このナミ様に任せなさーい」 「……はいはい、わかりました。吉報を待っていますよ」 「もちろん!」 ピジョットが飛び去る。時間差で、ナミを乗せたボーマンダも後を追う。 ピジョットの背中に乗ったコクランは、間もなくタンバの大渦の上空まで辿り着いた。上から見ると、さすがに壮観な光景だ。 大渦は、一つ一つが船を飲み込んでしまえるほどの大きさがある。そのため、この近くは普通の船の通航が禁止されており、通れるのは渦の力にも負けない高速船の定期便だけだ。 その定期便も、午前と午後に一便ずつのみ。夕刻の、薄暗くなってきた時間帯ともなれば、船影など欠片も見当たらない。 「犯人、どうするつもりかしらね」 そんなコクランをかなり遠くから眺めるナミ。もちろん双眼鏡を装備の上である。 このまま南下を続ければ、タンバシティに辿り着く。静かな町だが、まさかそこを取引の場所に使おうとでも言うのだろうか。 「念のため、向こうのジムにでも連絡しといた方がいいかしら」 考え、その必要はないか、と思い直す。こちらの場所はショウやブレーンたちが監視しているはずだし、本当に必要なら彼らが連絡してくれるだろう。 今、自分がすべきことは、コクランの監視と周囲への警戒だ。 ちらり、と後ろを確認する。遠くにフロンティアは見えるが、空に人の影はない。向こうからは誰も来る気配がないというのは、どういうことなのだろうか。 「フロンティアにいる奴とお金の回収係は別……?」 だとすると、単独の犯行でないのはもちろん、きちんとした役割分担もなされているということになる。 「あのサカキなら、それも当然か」 ロケット団総帥。犯罪組織のトップに立つ彼。そんな彼が犯人だとするなら、当然、今回の事件だって組織的な動きが垣間見えるはずだ。 「ん」 コクランが動きを見せた。 ピジョットが空中で止まる。同時、コクランはポケギアで通話を始めた。 『はい、お電話ありがとうございま――』 『あー、その挨拶は聞き飽きたっすよー。誰が電話してるかくらいわかってるっしょ? なら別に、そんな堅苦しい挨拶なんかいらないっす』 『それはそれは。イオリは相変わらず豪放磊落ですね』 『あれ? オレ名乗ったっけ?』 『いいえ。ですが、声も話し方も昔のままでは、隠れているうちにも入らないのではありませんか?』 『かーっ、そりゃそうっす。元気だったすか、コクラン』 『おかげさまで。イオリはお辞めになられてからどちらに?』 『ちーっと、ある人んとこで世話になってるんすよ。今回もしがない使いっ走りよぉ。下々の者は辛いと思わねーすか、コクラン』 『仕える相手が良ければ、従者という立場も決して悪くはありませんよ』 『それをお前ほどの人間が言うんすか』 『はて、何のことやら。わたくしはしがない執事でございますゆえ』 『……変わらないっすね。そういうとこ』 『お互い様です。それで、イオリ。この先の指示はどうなっているのでしょうか?』 『あーあー、それなんすけどね。現金の入ったバッグ、そっから落としてもらいたいんすよ。回収して中身を確認したら、爆弾のリストをいつものアドレスにメールするっす。それでめでたしめでたし。おけー?』 『ここから、というと、タンバの大渦にですか?』 渦に。 その言葉に、ナミは反射的に下を見つめた。 船さえ飲み込む巨大渦。いかに優秀なトレーナーでも、その中に飛び込んでただで済むはずがない。ポケモンさえ寄りつかないというあの渦に、バッグを落とすとなれば。 『そんな方法で本当に現金を回収できるのですか?』 『もちろん、ただでは無理っすよ。けどまあ、こっちにはそれなりの手段ってものがあるんす。具体的な中身は企業秘密なんすけどねー』 こちらもそんなことを説明してくれるとは思っていない。 仕方なしに、コクランはバッグを放り投げた。くるくると回転しながら落下したバッグは、大渦の中に落ちて見えなくなってしまった。 『はい、お疲れさんしたー。後はしばらく待機っすよ』 『イオリ。最後に一つ、よろしいでしょうか』 『答えられる範囲なら答えてあげないこともないっす』 『あなたのお仕えしている相手は、仕えるに値する人間ですか』 返事は、すぐには返って来なかった。このまま通話が切られるか、と思った頃に、 『あんたのご主人と同じっすよ』 『同じ、とは』 『さてね。それ以上は自分で考えたらどうっすか? 頭の良いあんたならわかるだろうし』 じゃあまた、と言って、通話は切断された。 遠目からでは、コクランの表情まで見ることはできなかった。 |