チリン――


 千年巨兵。それは、動く巨大な爆弾。
 無意味なまでに圧縮した生を人形の形に押し固めた存在。それは、今すぐに破裂してもおかしくはない。
 破裂した生は暴風となって吹き荒れるだろう。私たちはおろか、ルシフェルたちも間違いなく巻き込まれる。そして、この距離でそれだけの威力を喰らえば、いかな死導者たろうとも無事では済まない。
「借りを返すにはちょうどいい相手ね」
 私を傷つけた罪は重い。
 そして、それ以上に。
「アンジェラッ! やるわよ!」
 私の子供たちを傷つけた罪は重い。
「続くわ、導いて」
 チリン――
「任せなさいっ!」
 まずは、この巨体の動きを止める!
 私にとって少量の生を練る事は呼吸するにも等しい。この程度の術式ならば、一瞬で組み上げられる。
束縛の十字架ゴルゴタ・クロス!」
 光の十字が敵の動きを縛る。十字架は本来、罪人を裁くための処刑用具。その性質は、相手の動きを制限するためのもの!
「続くわ。束縛の鎖スタニング・チェイン!」
 不可視の力で十字に貼り付けられていた巨体を、さらに鎖が縛り上げる。どちらも、相手の動きを止めるという意志によって組み上げられた術式。そう簡単に切り抜けられるものではない。
「無駄。千年巨兵はそれそのものが兵器。動きを制限しようと関係はない」
「それは、どうかしらねぇ?」
 動けないとわかれば、高威力の術式も、複雑な術式も組み上げる事ができる。
 ちょうど、今の私のように。
「私を誰だと思っているの? 聖母のマリア! 歴代最強の悪魔祓いなのよ!」
「――!?」
 これだけの生。一度に解放されれば危険すぎる。
 なら、一度に解放できなければいい。
「さあ、踊り狂いなさい。偽りの法則は逆転する!
 天冥の崩壊ルイン・オブ・ワールド!」
「これは……!」
 気がついたところで、もう遅い。
 生を押し固め、凝縮しようとする力が働いているなら、その力を逆転させればどうなる?
 答えは、ひとつ。
「させない! 千年兵の剣!」
 仕掛けに気づき、天使が飛び出してくる。
「アンジェラ!」
 術式に集中しなければ行けない私に天使の相手をしている余裕はない。その私を守るように、アンジェラが前に立つ。
「恨みに思うつもりはないけれど、邪魔をさせるわけにもいかないわ」
「その程度で私と戦いになるものか!」
 アンジェラの魂喰らいの宝剣ソウル・ブレイドと天使の千年兵の剣が激突する。甲高い音が苛烈に響く。
 剣の技に関しては天使の方が幾分、優れているように見える。徐々に、しかし確実に、天使の打ち込みの方がかすめていくようになっている。
「なかなか良い腕前ね」
「わかっているのなら降参しろ。一撃で葬ってあげる」
「残念だけれど、そうもいかないわ。それに、問答はもうおしまいなのでしょう?」
 くすり、と笑ったアンジェラは、少し距離を置く。構わず踏み込む天使。
守護の白翼ガーディアン・ウイング
 白く大きな翼がアンジェラを覆う。守りの力を付した巨大な翼は、彼女の小さな体をたやすく覆い隠してしまう。
「そんなもの!」
 構わず、天使は翼を断ち切る。羽が雪のように舞う中、夜空のような漆黒がちらりと視界を横切った。
 天使の刃もまた、迷わず黒を切り裂く。刃は何の抵抗もなく、少女の姿を両断した。
「……甘いわね」
 思わず、声が漏れた。
 黒い影が、消える。煙のごとく。
 天使は敵がいなくなったと判断し、私に視線を移す。そのまま駆け出し――鎖にその体を絡め取られる。
「――!?」
 戸惑う天使。その背後に、アンジェラの姿が見える。
偽りの死導者ライ・ゴッデス。私の作り出した人形は、貴女ほど優秀ではないけれど、とても似ていたでしょう?」
「くッ!」
 脱出しようともがくが、あの鎖の意味は束縛。何の武器も使わずに打ち壊す事はできない。
 その間にも、私の術式は確実に巨兵の力を奪っていく。生を固める力を反転させ、流出する力に換える術式。かなり難しく複雑だが、私にかかれば短時間で発動し、長時間に渡って維持する事ができる。
 天使が巨兵の存在にこだわればこだわるほど、流出速度は速まっていく。
「そろそろ頃合ね。紅葉」
「任せて」
 私が指示するまでもなく、紅葉は駆け出す。私が軽く指を振るうと、その体が浮き上がった。
「だああああああああああああ!」
 紅葉の指が生をかき分け、強制的に霧散させていく。本当に、驚く力。流出の速度が早まる。
 紅葉の体が巨兵の中に潜り込み、その核となっている薄弱な存在を打つ。
奇跡の創造クリエイション! 守護の抱擁ガーディアン・エンバラス!」
 紅葉の周囲と巨兵の周囲をそれぞれ壁で囲う。紅葉の壁と巨兵の壁、その間で行き場を失った生が荒れ狂う。
 それも、ほんのわずかな間。時間が経った後は、すでに何をも残ってはいなかった。


 チリン――


 千年巨兵が倒れるのとほとんど同じタイミングで、みんなも戦いを終えた。終わった理由は簡単だ。星さんが、兵士を作るのをやめたから。
「星、さん」
 アンジェラの鎖に巻かれ、身動きさえもできない星さん。その瞳に揺れるのは戸惑いの色。強い強い混乱に支配され、前後さえ見失っている。こんな状態じゃ兵士の維持なんてできるわけがない。
 兵士が量産されなければ、みんなが負ける理由はない。僕の仲間はとても頼もしいから。
「もう終わりだよ」
 僕はアンジェラに視線で合図した。アンジェラはちょっと迷いながらも、僕の指示に従い、鎖を消し去る。
 星さんの手から、剣が滑り落ちた。
「私は。何と戦っていた?」
 放心した、色のない瞳を彼方に向けながら、星さんの口が小さく動く。
「何のために戦っていた?」
 誰も口を挟まなかった。いや、挟めなかった。それほどまでに、星さんは傷ついているように見えた。
「人が悪魔? なら。私は。何を。守ろうとした」
 アルバートの話の通りなら、星さんは人間を守るために死導者――いや、悪魔を殺そうとしていたはずだ。
 人と悪魔が手を取り合って戦う姿。人から進化した悪魔たるマリア。
 その存在は、どちらも星さんにとって衝撃だったはずだ。アイデンティティを打ち崩すほどに。
「私は。彼の守ろうとしたものを殺そうとしていた!」
 僕は黙って星さんに近づく。自分さえ見失っている星さんは、そんな事にさえ気づけない。
 僕は、そんな星さんの小さな体を抱き締めた。
「気づいたんだ。誰かが欠ける前に。なら、それで十分じゃないか」
「おーい。こっちは死にかけてたんだぞー。そこんとこスルーかよ」
 マモンの軽口に、小さな笑いが伝播する。今は、そうやって笑えるだけでも十分だ。死んでしまえば、笑う事さえできないんだから。
「私、は」
「――! 紅葉、離れろ!」
「え?」
 全身を、熱い何かが通り抜けた。
 視線を下に落とす。赤いものが僕の体から突き出ていて、ぽたぽたと、液体が滴り落ちている。
 一瞬、それが何なのか理解できなかった。それが何か理解した時、僕は振り向いた。
 星さんは、全身から刃を突き出していた。それは、身を守るハリネズミのようで。
「……大丈夫。怖くないよ」
 そんな姿を見たら、怒りなんて湧き起こらない。
 怯えている。今までの自分を完全に否定され、存在そのものが間違っていたと言われて。
「紅葉!」
 誰かが悲鳴のような叫びをあげている。僕はそれに答えず、ただ星さんを抱き締める力だけを強める。血が、さらに吹き出た。
「大丈夫だから。君は、いていいんだ。今まで間違っていたからって、これからも間違っていなきゃいけない理由はない。間違っていたからって死ななきゃいけないわけじゃない。やり直せるんだ、人間も、悪魔も、天使も」
「あ、う……」
「天使だって、悩む事もあるよね。悩んだら相談してみるといいよ。僕でも、先輩でも。アンジェラでもマリアでも」
 ねえ、と頷きかけると、何故か蒼白な顔で頷き返された。ああ、僕が血を出しているからか。
「星さん。一緒に、帰ろう?」
 弱々しい返事だった。言葉でさえなかった。
 ほんの小さな返事は、僕の服を通して伝わる。
「――よかった」
 その小さな手は、剣の代わりに、僕の服を握り締めていた。
 これで、先輩との約束も守れるし、アンジェラたちも守れるし、星さん自身も守る事ができる。
 大きな怪我をした人もいないみたいだし、万々歳じゃないかな。
 僕が怪我したのは、いつもの事だし。
 ああ、なんか、ちょっと視界が暗くなってきたな。出血し過ぎかも。
 まあ、そのくらいは……、どうにかなるよね。


 チリン――


 私は大きな間違いを犯していた。
 悪魔は、私が捜し求めた悪魔は、ずっと私の近くにいた。
 すごく身近で、どこにでもいて、しかし表面にはなかなか出てこない悪魔。
 それは、人間。
 人間の内には誰しも悪魔を抱えている。悪意、敵意、害意。私はそれらを見てきたのに、それは人間の行いだからと見捨ててきた。
 けれど、それは間違いだった。
 思えば、彼が望んだ『悪魔の死』とは、そういうものだったのだと思う。
 迫害され、身分を貶められ、希望など何一つとして存在しなかった私たち。
 そんな私たちに光を見せてくれた彼。
 あなたたちは、存在していいのだと。死ななくてもいいし、自らを卑下する必要もないし――まして、化物などではないと。
 それはただの言葉に過ぎなかった。けれど、確かな力が宿っていた。
 彼の一言によって確かに私たちは救われた。
 そんな彼は、最期の瞬間でさえ、笑っていた。その笑顔に力をもらった。
 彼は、私にそういう存在になって欲しかったのだと思う。
 人の心の宿る弱さは、隣にいてくれる誰かによって支えられる。
 誰しも、弱いんだ。その弱さを支えられる存在に、心の拠り所になって欲しいと、彼は願ったんだ。
 希望を世界に振り撒く事で、絶望という悪魔を殺して欲しいと願ったんだ。
 光を理解しない闇を払うには、ただ光り続けていればいい。
 ずっと、勘違いしていたけれど。
 それを、彼が思い出させてくれた。彼は、どこか彼に似ている。だから気づいたのかもしれない。彼の真意。本当の意味。
 ふと、彼が私にくれた名前を思い出す。
「……ガブリエル」
 神の御言葉を伝える者。
 私は、私さえ気付かぬ間に、天使になっていた。



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