チリン――   


 マリアを中心に、ずらりと並ぶ死導者たち。見た事のある光景とはいっても、壮観な眺めだと思う。
「ねえねえ、ケイ。何があるの?」
「なんだかよくわからないけど、マリアが大切な話をするみたい」
 あたしはちらりと隣を見た。あたしは眷属でしかないから、輪の中には立たない。特に決まりとかがあるわけじゃないけど、なんとなくそうしている。
 そして、同じように輪の外にいるのが白い病院服の女の子――百合。ベルフェゴールが溺愛している女の子。なんでここにいるのか知らないけど、どうせベルフェゴールが押し負けたとか、そんな理由だと思う。
 マリアはあまり喜んでいない感じだったけど、いちゃいけないとは言わなかったから、百合も輪の外で話が終わるのをあたしと一緒に待っていた。
「マリア。緊急招集なんて、どういう事だよ。俺様たちを集めるほどの事でも起こったってのか?」
「ええ、その通りよ、ルシフェル」
 マリアは傷も汚れもなくなっていた。アンジェラの能力とマリア自身の能力のコンビネーションみたいだけど、詳しい事はあたしにはわからない。治ればそれでいいとも思うし。
「私は昨晩、敵と戦ったわ。白いマントで全身を覆い隠した、子供のような外観の者。空で月見していた私の前に現われて、いきなり襲ってきたの」
「それで?」
 アスモデウスが興味なさそうに促す。確かに、子供の姿をした霊なんて、それだけなら珍しくもない。変魂なら、襲ってくるというのも普通の事。
 でも。
「私は、その相手に……、負けたわ」
 マリアの言葉に、一瞬、誰もがぽかーんと表情を凍らせた。
「な、ちょ、ちょっと待てよ。マリアが負けるって、それってどういうことだ!? 相手は化物かよ!?」
「化物という言い方は正確ではないわ、マモン。あれはその逆の性質を持つ者。聖なる側に属する存在よ」
「聖なる側ってーと、天使とでも言いたいのかよ?」
 マリアは、小さく頷いた。
「……は?」
 自分で言っておきながら、ルシフェルはポカンと表情を固めた。
「おいおいおい、待てよ待て待て。天使ってお前、本気で言ってやがるのか!? 俺様だってこの千年、そんな奴には一度もお目にかかった事はないぜ!?」
「けれど、そうとしか呼べない存在よ、あれは。圧倒的な力の奔流。感情の欠如した姿。神の意志を伝える者、天の御使い、すなわち、天使」
 マリアの真剣な表情に、ルシフェルも黙ってしまった。けれど、その顔には「納得できない」と書いてある。
 それは、他の連中にしたってそう。アンジェラでさえ、何かの間違いじゃないか、という表情をしている。
「天使なんて、本当にいるの?」
「少なくても、あたしは聞いた事もないわね」
 見た感じ、他の死導者もそう思っているとわかる。マリアでさえ、自分の言葉に完全に納得しているようには見えなかった。
「本当の正体までは、私にもわからないわ。ともかく、そうとしか呼べない者に私は襲われた。このまま捨て置けば、あれは間違いなく私たち全員を襲う。何故かはわからないけれど、あれは死導者を狙っているようだから」
「上等じゃねぇか……、俺様にケンカを売るたぁ、いい度胸をしてやがる」
「協力しますよ、ルシフェル。私も、聖母マリアを侮辱されて黙っているわけにはいきません」
「ルシフェル! リヴァイア!」
 叱咤するマリアに、ふたりはびくりと肩を振るわせた。マリアの声は、それほど大きくなくても、私たちの芯に響くような強さがある。
「先走ってはいけないわ。相手は、それほど軽くない。貴方たちが協力したところで、確実に勝利できるとは思えない。むしろ、多大な損害を受けて敗北する可能性の方が高いかもしれない。絶対に、無茶をしてはいけない」
 マリアの目は真剣そのもの。どこか、哀願しているような調子さえあった。
 さすがにそんな目には勝てなかったのか、ルシフェルは視線をそらし、リヴァイアは俯いた。
「他の者も。しばらくは、絶対に単独で行動しない事。敵と会ったら、勝利する事よりも撤退する事を考えなさい。いいわね?」
 それぞれが肯定の反応を示す。マリアの命令である以上、皆が守るだろうとは思うけど……。
「ねえ、ケイ。なんか、すごく大変な事になってない?」
「そう、ね」
 マリアでさえ勝てない相手、か。
 それは、あたしやアンジェラの前にも現われるんだろうか、と思う。
 その時。あたしたちは、どうなるんだろう、とも。


 チリン――


 お寺はともかく、町に神社なんてそうそういくつもあるものじゃない。自然、僕が案内できる場所も限られている。
「ここ?」
 星さんは朱塗りの鳥居を興味深そうに見上げている。物としてはごく普通の品だけど、わざわざ案内して欲しいと言うくらいだから、こういうのが好きなのかもしれない。
 石段を登り、境内に入っていくと、知り合いの巫女さんが掃除をしていた。
「あ、遠藤さん」
 巫女さんは僕を見て頬を緩めた。
 星さんが無言で説明を求めてくる。
「僕の知り合い。鯉田さん。この神社の人だよ」
 小声で説明し、今度は鯉田さんの方を向く。
「この子、星さんっていうんだけど。神社とかお寺を見てみたいんだって」
「いらっしゃいませ」
 鯉田さんはぺこりと頭を下げた。すると、星さんも真似るようにぺこりと頭を下げる。どっちもマイペースだから、はたから見ているとなんだかおかしい。
「まみちゃーん、ちりとりを持ってきたでぇ。って、遠藤さん?」
 社務所の方から声。見れば、こっちもまた知り合いだった。佐倉翔君。鯉田さんの高校時代の友達だ。
「こんにちは、佐倉君。鯉田さんの手伝い?」
「手伝いってほどのもんじゃないですよ」
 ああ、そういえば、前に掃除も修行の一環だとかいう話を聞いた事があるような気がする。それじゃあ、代わるわけにもいかないだろう。
 星さんはきょろきょろと神社の中を見回し、
「普段。これだけ?」
「たまにお父さんやお母さんもいるけれど、昼間は私しかいない事も多いの」
「今日は?」
「今日は私と、お友達だけなの」
 そして、沈黙。星さんの考えている事はまだよくわからない。
 やがて、星さんは僕を見上げつつ服のすそを引っ張り、
「行く」
「あ、うん、わかった。それじゃあね、鯉田さん、佐倉君」
「お疲れ様っす」
 星さんはすでに階段を降り始めている。僕も慌てて後を追おうとして、
「遠藤さん」
 振り向くと、意外と近くに鯉田さんの顔があった。
「な、何?」
「あの子、どこで知り合ったの?」
「たまたま、道端で」
「……気をつけるの」
 僕は軽く周囲を確認した。見たところ、佐倉君しかいない。佐倉君も秘密話に首を突っ込むつもりはないのか、少し離れたところにいる。
 それでも僕は小声で、
「どうして?」
 聞いた。
 鯉田さんの勘は鋭い。霊感なのか何なのか知らないけど、とにかく鋭い。なにせ、そういう仕事をしている人が頼りにするくらいなんだから。その鯉田さんが言う事は、無視できない。
 一方、鯉田さんはぷるぷると首を振り、
「理由は、わからないの。でも、なんとなく、気をつけた方がいい気がするの」
「――なるほどね。わかった、ありがとう。忠告に従うよ」
 星さん……、君は、一体?
 なんとなく湧き上がる不安を、僕は抑える事ができなかった。


 チリン――


 たいして広くもない部屋でしばらく待っていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ。開いています」
 愛の言葉に答えるように、扉が開く。入ってきたのは、金に近い茶髪の少年。
 アルバート・ヘンリー・トールキン。イギリス出身の錬金術師。生きる人間の中では、最高の部類に入る力を持つ者。それだけに、信頼も置ける。
「マリア、あなたがぼくを呼ぶとは珍しいですね。何かありましたか」
 部屋に入るなり、座りもせずにアルバートは聞く。私は落ち着いて座るように促しながら、愛とアルバート、ふたりを等分に眺めた。
「貴方たちに、少し調べて欲しい事があるの」
「調べて欲しい、とは」
「天使について」
 私の言葉に、ふたりは顔を見合わせた。
「それは冗談や伝承の類ではなく、実在する可能性のある天使、という意味でしょうね?」
「さすがは歴代有数の悪魔祓い。話が早くて助かるわ。
 貴方の言う通り、存在しうる可能性のある天使について調べて欲しい。どんな小さな事でも構わないわ」
 私の言葉に、けれどふたりは、かえって戸惑っているようだった。
 無理もない。聖書に幾度となく登場し、宗教画でも物語でも頻繁に登場する天使という存在は、しかし実在するかといえば難しくなる。なにせ、誰も会った事がないのだから。より正確に言えば、会った事を証明できた者がいない。
 それは、現実でも退魔の世界でも、死後の世界でさえ同じ。誰も見た事のないものは、存在しないのと同じと言う人もいる。その理論に従うなら、天使なんて存在していない事になる。
 しかし私は、存在していると、そう信じるしかなかった。この目で見てしまっては否定もできない。
「失礼かもしれませんが、あの、本当に天使なのですか? そもそも、どうして突然に天使などと……」
「交戦したからよ。天使としか形容のしようがない存在と、ね」
 私はゆるゆると首を横に振った。
「確かに、天使などという存在が実在するとは、私でさえ思っていなかった。いえ、今も思っていないわ。けれど、それに類する存在はいなければおかしい。実際、私のような存在もいるのだもの」
「――わかりました。しかし、ぼくが調べた限り、教会史に残る限りの『神の領域に到達した者』はあなただけでした。それ以前となると、調べるにも限度がありますよ」
 教会の歴史以前。それは、もう二千年も前の出来事。事実を調べる事さえ容易ではない次元となる。
「本当に小さな事でも構わないわ。ともかく、情報が欲しいの。再び正面から激突したら、どうなるかわからない。相手の正体も見極める事ができないのであれば、戦いようもない」
「ふむ」
 アルバートはすっくと立ち上がり、足早に玄関に向かった。
「このぼくがあなたほどのお方に頼られているんだ。答えないわけにはいかないでしょう」
「アルバート、わたしも手伝います」
 後を追う愛。そのふたりの背中に、私は声をかける。
「お願いね。あなたたちを、信頼しているわ」
 アルバートは軽く手をあげて。愛は頭を下げて。 
 それぞれに、部屋を出て行った。
 残された私は、ひとり、目を閉じる。思い起こすのは、天使の姿。
 私が知る限りの詳細な情報は、すでに愛に伝えてある。アルバートはそれらの情報を確認し、分析し、回答を導き出すだろう。
 錬金術師は研究が本分。考える事は慣れているはず。となれば、あるいは私よりも早く答えに辿り着くかもしれない。
 さて、と。私は私で、彼女を追わないと。
 追われるばかりは性分じゃない。なにせ、私たちは狩人。本来は、追って狩り殺す事こそが仕事。
「次は、貴女の思い通りにはさせないわ。天使」
 誰も、殺させはしない。
 私の子供たちは、誰も。



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