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チリン―― 「嫌な予感はしていたんだよ、僕も……」 バイトの時間になり、僕はアルバイト先であるファミレスにやって来た。 ――なぜか、星さんと一緒に。 なんとなくこうなる気はしていたよ! でも、実際にこうなると、ちょっとでなくへこむ。先輩になんと言えばいいんだろう。それに、前にもこんなような事があった気がする。 重い気を背負いながら、僕は従業員用の裏口を開いた。 「おはようございまーす……」 「あ、遠藤先輩、おはようございますっ!」 元気よく挨拶してきたのは志野さん。年齢的にもバイト歴的にも後輩だ。 「おはよう、志野さん。えっと、真理先輩は?」 「更衣室ですよ。もうすぐ出てくる――、あ」 志野さんの言葉が最後まで終わる前に、更衣室に繋がる扉がガチャリと開いた。顔を出したのは、僕の先輩にして恋人でもある、田崎真理先輩。 「あれ、くー、今きた、の……」 僕は思わず頭を抱えた。 先輩の目は僕の後ろ、星さんに注がれている。これは、内臓のひとつやふたつ、覚悟しなければいけないかもしれない。 「くー。そちらはどちら様?」 先輩の笑顔が怖い。 「えっと、こちら、星さん。なんだか僕に付いて来てしまっているんです」 星さんに目線で挨拶するように頼む。頷き、星さんはとことこと先輩の前まで歩き、 「星」 名前だけ呟くように名乗り、ぺこりと頭を下げた。 真理先輩は星さんの前で屈むと、 「お父さんやお母さんは?」 ふるふる。首を横に振る。 「じゃあ、おじいちゃんとかおばあちゃんとか」 また、ふるふる。 「……なら、大人の人は?」 三度目のふるふる。なんで言葉は使わないんだろう……。 「くー。親御さんは?」 「それが、家には連絡したくないとかで、教えてくれないんです。警察に連れて行こうかとも思ったんですけど、それも嫌みたいで」 「嫌って言っても、こんな子供を連れ回しちゃ駄目でしょ。下手したら、くーが誘拐犯に間違われるのよ?」 「言い返す言葉もないです」 先輩の言う通り。常識的な大人なら、そういう判断を下すだろう。 「星さんも。いい? ちゃんと家に帰らなきゃ」 先輩が言うと、星さんは四度目のふるふる。 「帰りたくないの?」 少しだけ考え、星さんは、こくん、と首を縦に振った。 「正確に言うと。帰るところがない」 「帰るところがない? どういう事?」 「そのまま」 「星さん。それは、家がないとか、そういう事?」 こくん。 「この国に来たの。七日くらい前」 「ああ、日本に住んでいるわけじゃないから、決まった家とかがないって事?」 こくん。 「じゃあ、日本にはひとりで来たの?」 こくん。 僕も先輩も、だんだんと星さんとのやり取りに慣れてきた。星さんは言葉には出さないけど、イエス・ノーはきちんと答えてくれる。つまりは、そういう質問をすればいいんだな。 「今までは、誰かの家に泊めてもらっていたの?」 ふるふる。 「じゃあ、今までは?」 「野宿」 『野宿!?』 重なった声は三人分。僕も、普通に驚いた。そりゃ行き倒れもするよね。 「お金、とかは?」 ふるふる。 「よくそれで今まで過ごせたね……」 僕はちらりと先輩を見た。先輩も困った様子だ。 「むー、じゃあ、あたしたちがバイト終わるまで待たせとく? 終わったら、警察に行くなり他の手段を使うなりできるし」 「ええ、それはいいんですけど、でも、休憩室にひとりにしておくのは……」 「ああ、そっか。さすがにそれはまずいよね」 うーん、と悩む。まさか店のスペースに座らせておくわけにもいかないだろうし。 「誰か常に休憩室にいるようにするとかどうですか?」 「それは難しいんじゃないかなぁ。忙しい時間になったら、誰もいられないよ」 「そっかぁ、そうですよね」 志野さんも合わせ、三人で頭を抱える。運悪くと言うべきか、今日は店長も休みの日だ。後になればもう少し人も増えるだろうけど、結局、休憩室にいられない事には変わりがない。 困っていると、ガチャリと音がした。 「すんませーん、メグミいますか?」 「裕也!」 扉を開いて中に入ってきたのは、ひとりの高校生。志野さんの恋人の落合君だ。 「裕也ぁ、ちょうどいいとこに来たわね」 「は? 何が?」 落合君は僕らの顔を見ながら怪訝な様子だ。 そんな落合君を前に不敵に笑う志野さんはあれだけど、僕も同じ事を考えたから、何も言う権利もなかった。 チリン―― なぜに俺はこんなところで座っているんだろう。疑問を持つが、答えてくれる奴は全員、フロアで勤務中だ。 俺は前に目を向けた。 ジュースが入ったコップを前に、ボーッと座る金髪少女。星とかいうらしい。俺は今、この子のお守りを任されていた。 つっても、暴れるわけでもなし、座っている女の子と一緒に休憩室にいるだけ。退屈度、マックス。 「星ちゃん、だっけ? 退屈じゃね? こんなところに座っていて」 俺が聞くと、星ちゃんはゆっくりと俺に目を向け、ふるふると首を横に振った。人見知りでもしてんだろうか。 「星ちゃんは、どっから来たんだ」 「前は。イギリス」 「前は? って事は、世界中を旅してるとか?」 冗談めかして言った俺の台詞に、意外にも星ちゃんは頷いてみせた。 「っは〜、そりゃたいしたもんだな」 俺は生まれてこのかた、海外旅行はおろか、国内旅行さえ数えるほどだ。世界を回るなんて、俺には遠い言葉でしかない。 「なら、生まれは?」 「――ティベリアス」 「てぃべりあす? ってどこの国?」 「ガリラヤ」 「……遠い国で生まれたんだなぁ」 さっぱり知らん。 ただ、すごく遠い場所というのはなんとなくわかった。そんなところから、あちこちの国を回っているんだ。何かの事情でもあるんだろう。 メグミならその事情とやらも知っているかもしれないけど、俺は何も聞いてなかった。メグミのバイトが終わったら聞いてみようか。 「日本には何をしに?」 「約束を守るため」 ん? 今の質問に答える時だけ、なんとなく星ちゃんの表情が変わったような、そんな気がした。この無表情ガールでも感情を持つ事なんてあるんだな。 「約束かぁ。約束って大切にしなきゃいけないよな」 そう。約束は、絶対に守らなきゃいけない。 「あなたも。何か。約束を?」 「あー、まあな。ま、俺の場合、ちゃんと守れなかったんだけどよ」 その相手は、もうこの世にはいない。この世ならざる者となって、それなりの幸せを手に入れたらしい。 それは、とても嬉しい。俺は約束を守れなかったけど、あいつが幸せになれた事に関してだけは、素直に喜んでいる。 「星ちゃんは約束、ちゃんと守ったれよ。約束を守れないと、相手も苦しいし、自分も苦しいもんな」 星ちゃんは視線を落とした。約束を守るために日本に来たって話だし、何か思うところもあるのかもしれない。 「ねえ。あなたは。約束を守れなかった時。何を思った?」 「何を? うーん、そうだなぁ」 あいつが……、ケイが、死ぬ時。 俺が考えていた事は、あいつの事。だけど、俺の事。 「すっげー悲しかった。後から思い返して、また悲しくなった。けど、後から悲しくなったのは約束を守れなかったからじゃなくて、守れないってわかった時に自分の事しか考えてないって気づいたからだったな」 俺は、ケイを守ると約束した。あいつは何かを破壊する事でしか何かを得られないような悲しい起源を持っていたけど、あいつ自身は決して悪い奴じゃなかった。ただ、あいつの持つ本能は、人間の社会には受け入れられなかった……。 「約束を守れなくなる時、俺が考えていたのは、もうあいつと会えないって事だけだった。あいつを守る事じゃなくて、俺を守る事だった。それが、無性に悲しくってさ」 結局、俺は最後にあいつの事を想ってはやれなかったんだなぁ、って。 それは、今も少しだけ後悔している。そんなの、あいつは望んでいないだろうから、無理矢理にでも押し殺すが。 「星ちゃんは、約束、守れそうなのか?」 俺の質問に、星ちゃんは俺をまっすぐに見つめ返してきた。 「絶対に。守ってみせる」 子供が持つにしちゃ、大層な決意が感じられる。それほどの言葉。 俺は星ちゃんの頭に、ぽん、と手を乗せた。 「ま、あんまり根を詰めすぎないようにな。約束は大事だ。けど、それ以外にも大事なもんなんて、いくらでもあるからな」 「私にとって。約束は。生きる全て」 「なら、約束以外の何かも覚えないとな」 星ちゃんは俺をちらりと見上げただけで、何も言わなかった。俺も、それ以上に言える事はなかった。星ちゃんの事情は知らないし、約束の内容だってわからない。 この年齢の子供がここまでこだわる約束なんだ。相当のものなんだろうとは思う。手助けはしてやれないけど、成功するといい、とは思った。 ……にしても。 いつになったら、バイトは終わるんだよ。 チリン―― 志野さんや落合君とも別れ、僕と真理先輩は、先輩の家に向かっていた。当然、僕らの後ろには星さんがついて来ている。 「くーってさ、厄介ごとを呼び寄せる笛か何かを吹いたりしているわけ?」 「そういうわけじゃないんですけど、本当、どうしてなんでしょうね」 こうして変な子供に好かれるのも、僕の体質が関係したりしているんだろうか。 いやいや。まさか、ね? 心の中で頭を抱えながら歩いていると、通りの向こうから大きな声が聞こえてきた。どうやら子供がケンカをしているらしい。 「あれ? この声……」 「どうしたんですか?」 「くー、行こ」 「え? ちょ、ちょっと!」 先輩はいきなり僕の手を握ると、ぐいぐいと引っ張っていった。こうなった真理先輩は、だいたい他人の話を聞かない。もちろん、僕の言葉も。 そんな調子で角を曲がると、見知った顔を見つけた。 「小雪、こんなところで何してるの」 先輩が話しかける。 角のところでケンカをしていたのは、小学生がふたり。小雪ちゃんと圭一君。小雪ちゃんは真理先輩の親戚の子で、圭一君はその友達だ。どちらも、何度か会った事がある。 「あ、お姉ちゃん。とその彼氏」 「その呼び方はどうかと思うんだけど」 「うん、冗談。紅葉兄ちゃんも、ちょうどよかった」 小雪ちゃんは小学生らしいツインテールをぴこぴこと揺らし、 「クレハがどっかに行っちゃったの。昨日の夜から帰ってなくて、だから探しに行こうって」 「クレハが?」 クレハというのは僕の事、ではない。小雪ちゃんが飼っている猫だ。 好奇心が旺盛というか、じっとしていない性格で、しょっちゅうどっかに遊びに行っている。今回はそれがちょっと長いという事なんだろう。 「というわけで、お姉ちゃんと紅葉兄ちゃんも手伝って」 「だーからー、手伝ってじゃなくて、そういうのは大人に任せろって」 小雪ちゃんに提案した圭一君はふん、と胸をそり返し、 「どうせ小雪に探させたらお前まで帰って来れなくなるに決まってるんだから」 「なによー、それ。レディに失礼じゃない?」 「お前は前科持ちだろうが」 圭一君の言う通り、小雪ちゃんは以前、猫を探して行方不明になった事がある。否定はできない。 「任せっぱなしなんてやだ。自分で探す」 「小雪。危ないからお家で待ってなさい」 「……ぶー」 小雪ちゃんは不満げだ。この調子だと、家に押し込んでも脱走するかも。可能性を否定できないのが怖い。 などと思っていると、くいくいと服を引っ張られる感覚。 「――なに? 星さん」 その時点で、小雪ちゃんたちは初めて星さんの存在に気づいたらしい。元々、空気みたいな子だから、無理もない。 「猫を。探せばいい?」 「え? ま、まあそうだけど」 「猫の。写真とかは?」 「それなら私が持ってるけど」 先輩はケータイを取り出し、写真を呼び出して星さんに見せた。ちなみに待ちうけは僕だ。 星さんはじっとケータイの画面を見つめ、 「わかった」 それを閉じると、先輩に返した。 「あなたたち。助けてくれた。だから。お礼」 星さんはそっと目を閉じると、両手を組んだ。それは、何かに祈る、聖女のようにも見える。小学生がする動作じゃないだろうに、とてもやり慣れているようだった。 「千年兵」 ぽつり、と呟く。 そのまま、星さんはしばらく祈っていた。僕らは何がなにやらさっぱりで、ただ顔を見合わせるばかり。 じっとそうしていた星さんは、突然、カッと目を見開いた。 「見つけた。こっち」 星さんは僕の手を握ると、くいくいと引っ張る。僕らは再び顔を見合わせ、星さんの後を歩いていった。 何度か角を曲がったところで、星さんは足を止めた。とある家の庭にある木の上を指し、 「あそこ」 「どこ?」 じっと木の上に目を凝らす。よーく見ると、葉っぱの間に、何か動くものが見えた。 「くー、あれ、クレハじゃない?」 「え? あ、本当だ!」 葉っぱの間でぷるぷると震える小さな体。間違いない、クレハだ。 「驚いたなぁ……、星さん、どうやって見つけたの?」 「それよりクレハを助けなきゃ!」 「あ、ああ、そうだね」 小雪ちゃんにせかされるように家の人に事情を話し、庭に入らせてもらい、木登りをしてクレハを助ける。降ろしたクレハは、薄汚れて、元気がなかった。 「一応、動物病院に連れて行った方がいいね。先輩、連絡しておいてくれますか」 「ん、任せといて」 ケータイを取り出して電話を始める先輩を尻目に、僕は猫を小雪ちゃんに渡す。 「もー、クレハ、降りれなくなるんなら登っちゃダメでしょ!」 クレハは小さく鳴き返した。これならたぶん大丈夫だろう。 「星さん、ありがとうね」 僕は屈み込み、星さんに視線を合わせた。やっぱり無表情だけど、なんとなく笑っているようにも見えた。 「別に。礼には礼を返す。当たり前」 「それでもお礼を言うのも、当たり前の事だよ」 「……なら。私も。ありがとう」 ぺこり、と頭を下げ、星さんは足先を玄関の方に向けた。 「私。もう行く」 「行く? 行くって、どこに?」 「探していたもの。見つけた」 星さんの足取りは明瞭で迷いがない。何か目的を持っている人の歩き方だ。 「お世話になりました」 最後にもう一度だけ頭を下げて、星さんはさっさとどこかに行ってしまった。 |