チリン――


「天使……」
 アンジェラたちの話を聞いて、僕がひねり出せた言葉はそれだけだった。
 とりあえず小雪ちゃんを家まで送り、僕と先輩はアンジェラたちも連れて僕のアパートまで戻ってきた。
 さして広いわけでもない僕の部屋は、五人も入るとちょっと狭い。そのうち四人が女の子なのは何と言えばいいんだろう。
「それって、本当に天使なの? 死導者とかじゃなくて」
 お話やらには天使なんてよく出ているけど、現実の問題として取り組むと途端に理解の範疇を超える。
 一方、死導者ならよく顔を合わせる相手だ。存在としてはまだいまいち理解していないけど、そういうものだという認識はある。
「死導者と天使の違い、ね。そういえばあたしも知らないわ」
 ケイもまた、肩をすくめた。
「アンジェラたちと同じ存在である事はありえないわ。私は彼女を作っていないもの」
「でも、優秀な退魔師はマリアみたいになれるんでしょ?」
「私が実際になっているのだから、その点に関しては否定できないわね。けれど、少なくても私が死者となって千年の時を経たけれど、私と同じような存在には出会った事がないわ。出会っていれば、ゲームをする必要もなかったもの」
「そりゃそうだ」
 殺し続ける事で何かしらの変化を見出す、死のゲーム。アンジェラが何百年にも渡って続けてきたというそれは、マリアが成長し、自分と同じ存在を手に入れるかみさまにならぶためのものだった。
 もしもマリアが自分と同じ存在に出会っていたなら、ゲームなんて必要なかったんだ。けど、そうなったら僕はアンジェラたちとは出会えなかったわけで、それはそれで寂しいんだけど。
「でも、相手もこっちもひとりの人間みたいなものだしね。世界規模で言ったら、千年くらい会えなくても無理はないんじゃないかな?」
「ええ。会った事はない。だから、私が天使と呼ぶ彼女も、私と同列の存在である事は否定できない。むしろそう考えるのが自然ね」
 それはすなわち、元人間の、霊が見える特殊な体質だった人。すなわち、僕みたいな人間だったかもしれない、という事。
 そんな人が、どうして死導者を殺そうとしているのか、それまではわからない。ただ、元が退魔師みたいな人だったら、自分が死導者になったとしても生前の職務をまっとうしようとするかもしれない。案外と、真実はそんなところにあるのかも。
「天使というのは元々、人間だったという考え方もあるの。私自身、その可能性は考えている。それについては、アルバートたちに調査してもらっているわ」
「へえ」
 アルバート。イギリスの悪魔祓いの名前だ。いや、元悪魔祓いかな?
 ともかく、僕らが持っていない情報網を、彼は持っている。それを手繰れば、あるいは“天使”の情報も手に入るかもしれない。
「それまで、アンジェラたちはどうするつもりなの」
「私は直接に会ったわけではないけれど、マリアの様子からしても、油断できる相手ではないと感じている。今はまだ、警戒しつつ、戦いの用意をするだけね」
 戦い。戦い、か。
 戦わなければいけないんだろうか。彼女は、何のためにマリアを襲ったりしたんだろう。
 昔の死導者なら、人間と敵対していてもおかしくはない。人を殺すために殺し、人間と自ら敵対していた頃の死導者なら。
 けど、今の死導者はそうじゃない。もちろん、昔にやった事がそのまま許されるってわけでもないだろうけど、じゃあ殺せばいいかって言ったら、やっぱりそれも間違っていると思う。
 星さん。君には、それは伝わらないのかな?


 チリン――


 今、俺っちは猛烈に後悔している。
 マリアから常に誰かと一緒にいろとは言われた。そして、その時にたまたま近くにいたベルフェゴールと、なんとなく一緒に行動するのも、まあ自然だったと思う。
 そして、そのまま一緒に病院までやって来た。ベルフェゴールは普段、ここを活動の拠点にしているらしい。
 それまでは、いい。けど、その後は最高に問題だった。
「ベル。ほんとーに大丈夫なの?」
「大丈夫だ。私とマモンで張った結界術ならば、そうそう相手に気取られる事はない。これでも私は隠密能力だけは死導者の中でも一番なのだぞ?」
「へー。すごいじゃん」
 どーでもいいような事を実に楽しそうに話すふたり。これが人間同士ならカップルと呼んでいるところだ。いや、バカップルとかいう言葉が日本にゃあったな。それがぴったりだ。
 それにしても、この苦行みたいな状況はいつまで続くんだ? まさか、天使ってのが倒れるまでずっとなのか!?
「――? どうかしたか、マモン」
「……いや。なんでもない」
 ついつい頭を抱えたくなるのは仕方ないと思う。
 頭痛を堪える俺っち。その耳に、小さな、それでいてしっかりとした亀裂音が聞こえた。
 それは、小さな違和感。あるはずのない軋み。
「まさ、か?」
 俺っちは窓を開くと、外を見た。この病院の敷地は全てベルフェゴールの隠密術式に俺っちが改良を施した、特殊な結界を敷いてある。ベルフェゴールじゃないが、こんなのは探査術式に優れた奴だって生を追えないほどの代物であるはずだ。
 だけど。今の軋みは、絶対に気のせいなんかじゃない。
「マモン。何かあったのか?」
「どうやら、お出ましみたいだぜ」
 俺っちの視線は、病院の正門、その入り口に立つ人間で止まった。
 決して涼しくはない気候の中、白いマントで身を覆う子供。揺れる金糸のような髪、感情の抜け落ちた表情。
 どれも、マリアに聞いた通りだ。
「行くぜ、ベルフェゴール」
 俺っちは姿を霊体に変え、窓から外に飛び出した。
 軽く振り返ると、同じようにベルフェゴールと……、百合!?
「おい、人間は戻れ! 庇ってやる余裕なんかないぞ!」
「ベルが危ない目に遭うってわかりきっているのに、無視なんかできるわけないじゃない」
「ちッ。面倒な奴だな。だったら、絶対に近づくなよ!」
 俺っちは手にリボルバーを掴みながら、それをにらむ。
「来いよ! そのために来たんだろ!」
 軽く挑発すると、相手も空に飛び上がってきた。
「あなたたちは。人ではない」
「ま、人は空を飛ばないだろうな」
 俺っちは油断なく構える。隙を見せるわけにはいかない。あのマリアでさえ、敗北を認めざるをえないような相手なんだ。ベルフェゴールが一緒でも、安心なんてできるわけがない。
「こっちも聞きたい事がある。お前が、天使か」
 ずい、と前に出たベルフェゴールは、独特の威圧感を持っていた。年季の入った威圧は、それそのものが剣のような武器にも見える。
 しかし、天使はちっともビビッているようには見えなかった。ゆるゆると頷き、
「あなたも。あなたも。あなたも。殺す」
 天使は、俺っちやベルフェゴール、さらにはなぜか百合まで指した。
「お前の目的は、何だ」
「答える必要はない」
 言い捨て、天使は何もない空間から剣を取り出した。簡単そうにやっているが、実際に行うとなると、それなりの技術が必要な力だ。となると、マリアに勝ったって話も、あながち嘘じゃないと思えてくる。
「消え去れ。悪魔」
 天使は変わらず無表情。けれど、放つ一言一言には、憎悪がにじんでいる気がした。
「集え。千年兵の軍勢」
 天使は空に向かって剣を振り上げようとする。だが、遅い。
七色の魔弾レインボー・バレット! 橙の弾丸オレンジ!」
 俺っちの七色の弾丸は、それぞれが違った効果を持っている。橙は最速。スピードだけなら誰にも負けた事のない俺っちでさえ回避できない、究極のスピード弾!
 そして、それは間違いじゃなかった。天使は俺っちの弾丸を避けられなかった。見えていたかどうかさえも疑わしい。
 だけど、俺っちの弾丸は届かなかった。
「あれが、千年兵か」
 天使の前には、さっきまではいなかったはずの兵士が立っていた。手には剣、全身は軽そうな鎧で覆われている。
 こいつが、マリアに聞いていた、天使の戦いにおける最大の特徴。
 奴の武器は、無限に湧き出る人形兵士。マリアが負けたのも、こいつらによる圧倒的な物量差が原因だったと聞いている。
「数で勝負するなら、俺っちだって負けやしねぇ!」
 両手に拳銃を掴み、俺っちはひたすらに橙色の弾丸を撃ちまくる。
 ひとつの威力は低いが、弾数は圧倒的。これだけの弾幕を前にしては、あいつだって動けやしない!
「今だぜ、ベルフェゴール! トドメ、刺しちまえ!」
「油断するな、マモン!」
「……なッ!?」
 ベルフェゴールは何を言っているんだ、と思ったのはほんの刹那。
 視界を埋め尽くすほどの弾幕の中で、人形の兵士は、前に歩み出ていた。
「こいつらに痛みはない! 威力の低い橙の弾丸オレンジではどうにもならんぞ!」
「くそッ! それなら威力がありゃあいいんだろ!? 喰らいやがれ、赤色の弾丸レッド!」
 俺っちの弾丸はそれぞれが違った能力を持っている。赤は重量を増やした、威力重視の一発だ。いかに俺っちの攻撃力が低いつっても、この至近距離! 赤を喰らえば無事じゃ済まない!
 放たれた赤色の軌跡が人形兵士に激突する。その瞬間、爆発したように人形は弾け飛んだ。
「どーだい! これなら文句ないだ、ろ?」
「ああ、文句はないな。連射できるのなら」
 兵士の向こうにいたはずの天使の姿は、すでに見えない。
 俺っちたちの視界を埋め尽くすのは、人、人、人。どこまでも、人形の兵士たちが俺っちたちを囲んでいる。
「いつの間に――!?」
「予備動作も気配の変動もなく、これだけの部下を作成する能力か。マリアがやられるのも頷けるな」
「おいおい、やけに冷静だな、ベルフェゴール。ピンチだってわかってんのか?」
「ああ、もちろん。だから、マモン、お前に頼みたい事がある」
 横目に見れば、帽子の下の顔は、緊張に張り詰めていた。
「何をさせる気だ? 今は取り込み中だぜ」
「百合を連れて逃げろ。私が時間を稼ぐ」
「そりゃ、お前を見捨てろって意味か」
「これでも私は反射の能力者だ。易々とはやられぬ。だが、私では百合を守ってやる事はできない」
 後ろを見ると、兵士たちの間から百合姉ちゃんの姿が見えていた。心配そうにこっちを見ている。だが、人形兵士たちは、百合姉ちゃんを襲う気配はなかった。戦闘力がないから無視しているのか?
「このまま我々だけで戦ってもジリ貧だ。我々が敗北し、死ぬ事くらいは構わない。それも宿命かもしれん。だが、百合には関係のない話だ」
「お前、マジで人間に肩入れしてんだな」
「お前も同じだろう」
 ……へっ。否定はできねえ。俺っちも、まみ姉ちゃんがこんな戦場にいたら、連れて逃げる事を考えるかもしれないからな。
「わかった。その代わり、お前も死なずに帰って来いよ。でないと百合姉ちゃん、絶対に抑えられねえ」
「わかった」
 軽く、拳を突き合わせ。
 俺っちは全速力で、兵士たちの間を飛び抜けた。剣を振ってくる奴もいるが、遅い。多少のすり傷はできるが、構っている余裕はない。
 連中が俺っちの姿を見失っている間に、百合姉ちゃんを掴み、さらに飛ぶ。後ろは見ない。そんな余裕はないし、それに、ベルフェゴールがいる。
 百合姉ちゃんは状況が把握できていないらしく、ぽかんとしている。できれば、このままでいて欲しい。
 今の俺っちにできる事。それは――。
「マリアぁ!」
 吼える俺っちに、答えてくれる相手はいない。



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