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チリン―― 資料を鞄に詰め込み、アルバートは国道沿いの十字路までわたしを連れて来た。 車の通りも人の通りも多い。けれど、都会らしく他人には無関心な人ばかりで、こうして道端で話しているわたしたちに注目する人も特にいない。 「アルバート。マリアのところに行くのではないのですか?」 「そうだよ」 「では、どこに向かうのです? マリアの居場所はわからないでしょう? それに、どうやって向かうのですか?」 「さっき、アンジェラに連絡した。マリアはアンジェラと行動を共にしているそうだ。だから、そっちに来て欲しいって話らしい」 「どうやって?」 アルバートは視線を車の波に向けた。 「あれ」 「車、ですか? タクシーでも呼んだのですか」 「いや、迎えが来るらしい。アンジェラの知り合いだそうだ」 死導者に車を使える知り合いがいるとは、驚く。もっとも、わたしも一応は『死導者の知り合い』であるわけだし、人の事は言えないかもしれない。 などと思っていると、背後に車が止まった。見れば、ごく普通の乗用車が停車している。 「アルバート、退きましょう」 「……いや?」 運転席から男性が降りてきた。 見知らぬ人だ。それに、変わっている。まだ半袖で過ごす人もいる気候の中で、この人は革ジャンを着ているのだから。 「よ、アルバート。久しぶりだな」 男性は友好的な笑みを浮かべている。一方、アルバートの方は苦々しげな表情。わたしは彼のこういう顔はあまり見た記憶がない。 「お知り合いですか?」 「敵だよ」 「敵!?」 「おいテメエ。誤解を招くような事を言うんじゃねー」 男性は笑顔のままに怒気を放つ。なかなかに器用だ。 「ただのブリティッシュジョークだよ。愛、彼は日本の退魔師だ」 退魔師……、そういえば、普通の人間とは異なる雰囲気がある。服装とかではなく。 「火野公平だ。あんたが三上か?」 「ええ。三上愛と申します」 「そーか。んじゃ、乗れ」 言いつつも、火野さんは早々に車に乗り込んでいる。 「はい? ちょっと、どういう事か説明してくれませんか?」 窓を叩くと、パワーウインドウが開いた。火野さんは首だけ出し、 「ありゃ? 聞いてねーか? アンジェラから」 「アンジェラから?」 「そう。迎えが行くって。オレがその迎え」 火野さんが言うと、アルバートは複雑な表情をした。このふたり、何かあったのだろうか? 火野さんが何か思っているようには見えないけど……。 「いいから、さっさと乗れ。たらたらしていたら間に合わねぇ」 わたしは少しばかり躊躇した後、車に乗り込んだ。アルバートはさらに迷っている様子だったが、やがて覚悟したのか、不満そうな表情のままに乗り込んだ。 「んじゃ、飛ばすぜ」 「日本の交通ルールは守ってくれるんだろうね」 「前向きに検討しといてやる」 「嘘でも守ると言え」 火野さんの答えは、全開に踏み込んだアクセルだった。 チリン―― 気づいたら、日が暮れていた。 今、僕の部屋では、マリアがベルの治療をしている。さすがにこれだけの人数は入らないので、関係のない僕たちは外に出ていた。 ベルはかなりの深手を負っていた。無理もない。あれだけの数に囲まれていたんだ。まだ生きているだけでも儲けものだろう。 中には白井さんとマモンもいる。ベルの容態を心配して、看病している。 「アンジェラ、ベルは大丈夫かな?」 「死に至る事だけはないわ。ただ、あれだけの傷。いかにマリアが事象をねじ曲げようとも、当分は戦えないでしょうね」 それは、ベルが戦線離脱したという事。 九人いる死導者のひとりだ。それが欠けただけなら、まだ戦う事はできるし、それに僕やケイもいる。 だけど、相手が相手だ。あれだけの数の兵士を同時に使えるような能力。僕は戦いに関しては素人だけど、それでもあれだけの量があれば、質に関係なく押し潰されそうな気がする。 つまり、状況はちっとも好転していないって事になる。数だけじゃダメなんだ。なんとかして、星さんを説得しないと。 「すみません、先輩。星さんを説得できなくて」 「くーが無事に帰ってきてくれた。私はそれだけで十分だよ」 真理先輩に微笑みで返しつつ、僕はアンジェラたちに問いかける。 「アンジェラ、ケイ。星さんのやった事はやっぱり悪い事、だよね」 「あれを悪事って呼ばないなら誰だって善人よ。少なくても、あいつは本当にベルフェゴールを殺すつもりだったとしか思えない。あたしだって、仲間がやられて黙っているほど気弱でもないわよ」 「けれど、彼女自身にも強いこだわりがあるであろう事は容易に想像ができたわ。ただ、彼女の信念と私たちの信念は相容れないと思うけれど」 「……そっか」 それも、当然だ。ベルは死の間際まで追い詰められていた。これを笑って許せる方がどうかしている。 それでも、僕は、迷いが生じる。星さんは本当に悪なのか? 倒さなければいけない敵なのか? その答えの鍵は、星さんが握っている。 できれば、なんとかして会いたかった。ふたりでもう一度、ゆっくりと話してみたかった。それは、叶わないんだろうか。 もちろん、口での説得は無駄かもしれないし、そんな事をすれば僕が殺されてしまう可能性だってゼロとは言えない。それでも、説得したかった。話してみたかった。今は、そんな簡単な事さえ、難しい。 だいたい、星さんの居場所もわからないのに、話し合いなんて――。 考えていて、ふと可能性に思い当たった。決して高い可能性とは言えないだろうけど、もしも僕が星さんに会える場所があるとするなら、あそこ以外には考えられない。 「真理先輩、どうせ今日は泊まりますよね? 僕、ちょっとコンビニに買出しに行ってきます」 「買出し? それなら手伝おうか?」 「大丈夫ですよ、それほど量を買わなきゃいけないわけじゃないですし。すぐに戻りますから」 「でも、危ない時期だし……」 「本当に危ないのは死導者であって人間じゃないですから、大丈夫ですよ」 軽く言い、僕は足早にアパートの敷地を出ると、そのまま駆け出した。 チリン―― 足取りが重い。当然だ。ようやく約束を果たす時が来たというのに、私は戦いを放棄し、逃げ出したのだから。 何故、私はあそこで逃げてしまった? 何故、戦わなかった? 原因はひとつだ。あの人間。彼がいたから、私は彼の前で戦いたくなかったから逃げた。それだけの事だ。 けれど、どうして私は彼の前で戦う事を避けたんだろう? 彼はただの人間に過ぎない。あるいは悪魔たちと一緒にいたのだから、何か普通の人間が持っていないものを持っているのかもしれないが、少なくても悪魔ではない事は揺るがない。それは、彼を見ればわかる。 私の役目は、悪魔を殺す事。彼は、その障害にはなり得ない。 なら、私はどうしてためらった? 何を躊躇した? こんなにも、自分の事が理解できないのは、初めてだった。 ふと顔を上げると、明るい光が視界に入った。 月明かりさえない闇夜を切り裂く人工的な光。昼間にもやって来た、あの飲食店だ。 意識もしていなかった。ここに来れば彼に会えるとも思っていない。第一、会いたくもない。 もう一度でも彼に会えば、きっと、私の覚悟が揺らぐ。気が遠くなるほど長い時間、決して揺るがなかった私の信念に、亀裂が入ってしまう。 それは、嫌だ。それは困る。 もしも約束を失えば、信念がなくなれば、私は何を支えに生きていけばいい? 約束は私の全て。信念は私そのもの。 それ以上も、それ以外も、存在しない。してはならないんだ。 そう、彼は言った。自ら処刑の地に赴く際に。 そう、彼は言った。私の力で人を悪魔から守って欲しいと。 そう、彼は言った。約束だよ、と。 私は、その約束だけを胸に生きてきた。悪魔を殺す事。それだけが全てだった。 なのに。なのに! 「どうして?」 どうして、私は迷っている? ただ呆然と光を見つめる事しかできない。こんなにも自分が頼りないのは初めての経験だった。 「……行かなきゃ」 迷いは、ある。混乱もしている。 だからこそ、彼に会う前に決着をつけなければいけない。今の内に、まだ使命を胸中で燃やしている今の間に、奴らを殺す。そうすれば、後はどうなろうと関係がない。悪魔さえ殺せれば、私はどうなろうとも知った事ではない。 私は、道具に過ぎない。生まれてから、それだけは変わった事がない。 迷いつつも一歩を踏み出す私は、ようやく気がついた。 思考の海から這い出したそこに、人がいた。肩で息をしながら、私を見ていた。 どことなく頼りなげな風貌。少しばかり幼い顔立ち。 彼が、口を開く。 「星、さん」 それは、私が最も出会いたくない人間。 それは、私が会ってはいけない人間。 「――紅葉」 遠藤紅葉。 私を混乱させた、唯一の人間。 なぜ、ここに来てしまったの。 チリン―― 「星、さん」 もう一度、名前を呼ぶ。 星さんの表情は、明らかにさっきまでと違っていた。抑揚のない、無感情な顔つきは、今は人間らしいものへと変わっている。 混乱し、嘆き、今にも泣きそうな人の顔に。 「星さん、どうして君は死導者を襲うんだ」 星さんは口を小さく開き、しかし言葉が出なかったように、また閉じてしまった。 「誰かを犠牲にして、誰もが幸せになんてなれるものか。大勢に幸せのために少数を犠牲にするのは現実的かもしれないけど、理想的でもない。まして、死導者を殺して、誰が幸せになるって言うんだ」 「彼らは。悪魔」 ぽつりと、星さんは呟く。その一言に力を得たように、次々と言葉を放つ。 「悪魔は人を堕落させる。無意味な死を増やす。世の理を覆す。闇は光を理解しない。魔は神の御言葉を理解しない。彼女たちは存在そのものが悪。共存などありえない。 存在しなかった存在は存在する必要がない。彼らは最初からこの世界のどこにも居場所なんてない」 「なければ、作り出そうよ。君が倒した死導者――ベルだって、彼なりの居場所を見つけていた。彼は、人間と一緒に生きる道を見つけていた」 ますます、星さんの顔に混乱の色が強くなる。ここまで感情的になれるなんて、思っていなかった。 「それだけじゃない。みんな、それぞれに自分なりの居場所を見つけているんだ。もちろん、全員が人間と歩む道を選んだわけじゃない。けど、それでもいいじゃないか。 死導者だって同じだ。面白い事を笑い、辛い時に悲しみ、仲間を傷つけられれば怒り、生きる事を楽しむ。死導者も人間と変わらない。感情を持ったひとつの存在なんだよ」 「それは。否定しない」 「なら……」 「でも。ダメ」 星さんは、首を横に振った。 「全てなの。彼女たちを殺す事が。そのためだけに生きてきた」 「他に生き甲斐を見つける事もできる。アンジェラたちは、そうした。その手伝いなら、僕だってできる」 「――もしここで私が曲がってしまえば。彼は報われない」 彼? 「彼は人々を救うためだけに死を選んだ。魂さえ残らない消滅を選んだ。私は彼に報いなければいけない。折れるわけにはいかない。絶対に」 顔を伏せる星さんの表情は読み解けない。あるいは、顔を見ていても、読み解けないかもしれない。 「わかっている。これはただの感情論に過ぎない。理屈じゃない。それでも。彼女たちを殺す。私はそのためだけに生きてきた」 平行線だ。 僕の望みと、星さんの意志は交わらない。妥協点が、見つからない。 ……あるいは、そんなの、最初からわかっていたのかもしれない。 「そう、最初から、わかっていたんだ。言葉だけで誰でも説得できるなんて事はない」 思わず、顔が下を向く。泣きたいくらいに悲しいのに、涙は枯れてしまったように出てこない。 「本当に強い信念を持っている人は、言葉なんかじゃ揺るがない。強い信念を変えさせたいなら、方法はひとつしかない。力で、折り曲げる事だ」 もう、顔を伏せていられない。そんな時間は、終わったんだ。 顔を上げる。星さんもまた、無感動な顔に戻っていた。 「ごめん、星さん。僕、ひどい男だ。こんな小さな女の子に手をあげようとしている」 ぐっと拳を握り、突き出す。それが、今の僕にできる事。 死導者と星さんを戦わせるわけにはいかない。それは、お互いに滅びを望むだけの、殺し合いにしかならない。 それじゃ意味がない。星さんが曲がれないというなら、強い信念があるというなら、それを壊すしかない。 殺すのではなく、壊す。心を、強さを、打ち砕くしかない。 「君が譲れないように、僕も譲れない。君の信念が死導者を殺すという事なら――僕の信念は、君を止めるって事だ」 本当は、こんな道は選びたくないけど。 これしかないなら、僕は全力で歩んでやる。 「命懸けでも、君を止めるよ」 沈黙していた星さんは、ゆっくりと口を開く。 「案内して。広い場所。誰も来ない場所。私とあなたが戦える場所に」 それが、星さんの答えだった。 チリン―― お爺ちゃんの治療が終わったとかで、マリアちゃんも部屋の外に出てきた。 今、部屋の中には百合ちゃんとマモン君がいる。何の話をしているのかわからないけど、きっと、泣いているんだと思う。 そう思うと、なんだか私まで悲しくなってくる。こういう時、何もできず何も知らないというのは、くーじゃないけど歯痒くなる。 「これはまた、大所帯だな」 聞き慣れない男の人の声に、私は目を向けた。 アパートの敷地の入り口のところに、男の人と女の子が立っている。男の人は黒いコートなんて着込んでいるし、女の子はなぜか巫女服だ。 「ど、どちら様?」 どっちも、どう考えても変人だ。明らかにこのメンバーの誰かの知り合いとしか思えない。 「陽平。あんた、何しに来たのよ」 案の定、ケイが反応を示した。見れば、アンジェラちゃんも見ている。 「まみから連絡を貰ってね。遠藤紅葉が不思議な子供を連れているというので、様子を見に来たんだ。 実は、私もその子供に会っていてね。ヨーロッパあたりの退魔師だと思っていたんだが……、君たちの様子を見る限り、外れたようだな」 「お・お・は・ず・れ、よ」 ケイとアンジェラちゃんが男の人に説明をし始めた。それを横目に見ながら、私が思うのはくーの事。 くーも、やっぱり悲しいんだろうな。ベルとはそれほど親しいわけじゃないと思うけど、自分の目の前に傷ついた人がいて黙っていられるような性分でもない。きっと、星さんに会いたいとか、そんな事を考えるに決まってる。次こそは説得するー! とか、いかにもくーの言いそうな事だ。 幸いにも今は星さんの居場所がわからない。だから、くーも大人しくしてくれている。これで居場所がわかったとしたら大変だ。絶対に行くって言うに決まってる。それを止めるつもりはないけど、でも、無茶だけはしないように釘を刺しておかなきゃ。 「そういえば、遅い……」 コンビニ、そんなに遠かったっけ? 遅くなる理由をあれこれと考えてみる。そこに、さっきまでの考えが重なった。 「――まさか、星さんを探しに?」 さすがにそれはない、はず。いかに遠藤紅葉という人間が無茶ばかりをして私に心配をかけまくるような人でも、何の手がかりもなしに人探しをするようなタイプじゃない。 何の、手がかりも、なしに。 「もし、かして!」 甘かった。どうして、どうしてすぐにその考えを思いつかなかったの!? 「アンジェラちゃん! マリアちゃん!」 大声に目を丸くするふたりに構わず、私は早口に言い切る。 「急いで私を連れてって!」 「ど、どこに?」 「くーのいるとこ! あの子、ひとりで星さんに会いに行ったんだ!」 |