「ただいま」
 コハルが家に帰ると、居間に女の子が浮いていた。
「あー、コハル。お帰り〜」
 ふわふわと浮いている華奢な少女は、ヴィナという。コハルがつけた名前で、本当の名前は知らない。
 ヴィナはラスターと同質の存在ーー精霊のようだが、本人いわく記憶はない。そのせいか、特別な目的意識というものもなく、自由に日常を暮らしている。
「ヴィナ、ちょっといいかな」
「なぁに?」
 コハルは鞄を置きながら、通り魔についてヴィナに話した。
 言葉はわかるものの人間の慣習には疎いヴィナには通り魔という概念がなかったが、話は通じたようだった。
「そういう危ない人がいるから、僕から離れないようにして欲しいんだ」
「ん、了解。あたしがいればコハルに手出しなんてさせないから!」
「頼もしいね」
 確かに、ヴィナと一緒ならば、ラスター相手でも勝負にはならない。能力者の犯罪者がどの程度かわからないが、少なくても、手も足も出ないなどということはないだろう。時間さえ稼げれば、ミアたちが助けに来てくれるに違いない。
 そう、むしろ心配なのは……。
「ミアさんたち、大丈夫かな」
「大丈夫って何が? あいつらなら、十分に強いでしょ?」
「そういう問題じゃないよ。戦闘力だけなら、そりゃ大丈夫だろうけど」
 コハルは、ミアについてそう詳しいわけではない。だから、彼女のプロ意識や、それ以外の心について理解しているわけでもない。
 だが、まっとうな人間であれば、他人を傷つけることについて何も思わないわけがない。
 それだけが、少し心配になるのだ。
「……明日、学校で会ったら、くだらない話をしようか」
 なんでもいい。何か話しているだけで、人の気というものはまぎれるものだ。
 それは、コハルなりの優しさだった。そんなコハルにヴィナは、
「そういうの、決めてから行くものなの?」
「おっしゃる通りで」
 くすっと笑ったコハルは、
「さて、夕飯の用意をしようかな」
 男子高校生らしからぬことを言いながら、台所に向かった。

★ ☆ ☆ ☆ ★

『うまく追い込めてる。この次を右』
 ワイヤレスイヤホンから入ってくる情報をもとに、ミアは町中を駆け巡る。
 イヤホンは電話に繋がっており、仲間と通話中だ。
 索敵能力が高い仲間を護衛と共に置き、発見した敵を追いかける。狩りの手法だ。
 犯人が今夜も動いてくれたおかげで、発見できた。今は別のメンバーが教われた人を治療しているが、致命傷ではないらしい。耳から入った情報に、少しだけ安堵する。
 走って、走って、走って。
「……見つけた」
 発見したのは、一見すると中年男性だ。身長170センチ前後、やせ形、頭髪が少し薄くなっている。監視からの情報通り。
 男は路地を駆けている。マラソンランナーでもない限り、これだけ走り続けられるということはありえまい。
 やはり、能力で身体強化をしていると見るべきだ。
 そして、それが意味するところは……。
 ミアは覚悟し、思いきり地面を蹴り抜く。彼女の身体能力ならば、100メートル程度など間合いの内だ。
「っ!!」
 相手を追い抜き、前に出る。
「おとなしくなさい。悪いようにはしない」
「……」
「人を殺すのはいけないことよ。ましてや、能力者であればなおのこと」
「だから、何だ」
 案外と甲高い声。
 男はミアをにらみつけ、
「そうやって正義ぶったお前たちは俺たちのことなんか考えてもいないお前たちは自分が正しいと信じて正しければ何をしてもいいと信じてやがってふざけやがってええええええええええ!!!」
 ぞくりと背筋が震える。完全に、気が狂っている。
 ミアは剣を構える。折り畳める刺突剣レイピアは、本来ならば強度的に問題のある玩具みたいな武器だ。だが、能力者であるミアが使えば、それはラスターを狩るための武器となる。
 剣を手に、しかし、ミアの足は止まった。
 そう、彼女の武器は、ラスターを狩り、殺すためのものだ。決して人間に向けるべきものではない。
 もちろん、これは使命だ。誰かがやらなければいけない仕事であり、彼女にはその力がある。ならば、それを実行するのは、もはや責務と言って差し支えないものだ。
 わかってはいる。わかっているが……。
「なんだテメエ」
 乱雑な物言いをしながら、男は包丁を取り出した。
 本物ではない。幼稚園児がおままごとに使うような、玩具の包丁。だが、丸みを帯びたフォルムが、かすかに輝いている。
「そういうことね……」
 玩具の包丁を持っているくらいでは、怪しいは怪しいが、殺人犯として逮捕されることはあるまい。なんといっても玩具なのだ。
 だが、彼の能力は、『玩具の包丁』を『本物の包丁』にする能力なのだろう。あるいは、玩具を本物にする能力、といったところだろうか?
 それが包丁に限るのか別のものをも含むのか不明だが、今ここで始末してしまえば問題はない。
 実際、刃物を持っている程度では、ミアからすれば勝負にもならない。最低限の身体強化はできているようだが、ミアのそれとは練度が違う。武器は間合いの狭い包丁であり、手足はどう見ても鍛えていない男のそれ。
 負ける要素など何もなく、無造作に近づいて一撃で頸動脈を切ってしまえばそれでおしまい。
 彼はすでに殺人犯であり、しかもこれからも殺人を犯そうとする危険人物だ。トラの言を借りるまでもなく、今ここで始末すべき相手。
 わかってはいる。以前のミアならば、躊躇なく斬っていただろう。それが必要なことだからだ。
 だが、今は斬る勇気が沸かない。
「……」
「なんだあ? その立派な武器は飾りかあ? ならこっちゃから行くぞ!!」
 男が飛び出す。強化した速度、だが、ミアの反応からすればあまりに遅い速度。
 余裕をもって攻撃をかわし、足をかけてすっころばす。
 無防備な背中。突き刺し、殺す余裕は十分にあった。背中から心臓まで貫くだけ。それだけで、この殺人犯は死ぬ。
 わかっているのに。
「ッ……」
 結局、剣を振り上げられないミアは、男の頭を踏みつけた。
 ただのストンピングではない。能力者のストンピングだ。
 一撃で相手の頭は揺さぶられ、そのまま倒れる。
「別に、無力化できれば同じことよね」
 それは誰に向けての言葉なのか。
 ミアは剣を収めると、男に背を向けた。回収は別の人間が行う。それが狩りのルールだ。
 そう、だからミアは油断した。
「ッ!!」
 直後。背後に感じた空気の流れだけを頼りに、ミアは体を前へ倒した。
 ぐるりと地面を転がり、振り返る。
「ぐる……」
 男が立ち上がっていた。
「な、何なの」
 ありえない。頭を思いきり揺さぶったのだ、立ち上がれるはずがない。
 実際、男の目は焦点が合ってなかった。だが、明らかに立っているし、玩具の包丁は能力を使っている。
「気絶、している……? なのに動いている?」
 傀儡のような? だが、どうやって?
 詮索は後だ。まずは彼の行動力を削ぐこと、それが先決。
 もはや殺すとか殺さないとか、そんなことを言っている段階ではない。
「……ッ」
 だが、この期に及んでも、殺す意思が湧かない。
「あぁぁ!!」
 男が包丁を振り上げ、襲いかかってくる。ミアは飛び出しレイピアで受け止めるが、もともと鍔迫り合いを演じるタイプの剣ではない。
 相手を蹴り飛ばし、壁に叩きつける。そのまま路地を駆け抜けた。
 逃げる、逃げる、逃げる。
 男は追いかけてくる。スピードはさっきよりも早いように感じる。
「やっぱり傀儡……。でも、そんなことある?」
 他人を能力者にする能力者。そんなことがありうるのか?
 傀儡だとして、彼を殺せば止まるのか?
 脳裏に仲間の姿が浮かぶ。教会には、死者を操作する能力者がいる。彼女の能力と同一のものであれば、仮にあの男を殺したところで意味はない。
 そう、彼女の能力と同じと考えればーー取りうる方法はひとつ。
 跡形もなくなるほど、ぐちゃぐちゃに潰してしまうこと。そうすれば、死者を操作する能力といえど意味はない。
 体を36分割にでもすれば、さすがに再生しないだろう。その覚悟があれば、だが。
「しまった……」
 走り続けるうち、袋小路に入ってしまった。左右は民家の塀。飛び越えることは可能だが、追いかけてこられると、民家の中で戦闘になる。
「……」
 なおも逃げるか、殺すか。迷ったその時、
「開門!!」
 男の声と共に、空間が揺らぐ。
 包丁男の目の前に半グレの男ーートラが飛び出す。
 トラは手にした鉈で包丁男の首をはねた。一瞬の、まったく迷いのない攻撃だった。
 トラはそのまま、男の腹を斬り、心臓をえぐる。道路を血まみれにして、ようやく手を止めた。
「ったく。何を手間取ってやがんだ、この程度で」
「……礼は言わないわ」
 ミアの視線に、トラは肩をすくめる。
「んだよ、助けてやったってのに」
「あなたは人を殺したかっただけでしょう」
「けど、お前は殺せなかった」
「それは」
 否定しようとして、否定できない自分がいる。
 トラは嘆息し、
「まったくよお、何を考えてやがんのか知らねえが。人を殺せない奴に気高き者エーデル・ムートは勤まらないんじゃねえの?」
「私たちはラスターを狩る集団よ。人じゃない」
「じゃあ目覚めた奴はほっとくのか?」
 わかっている。トラの言っていることは暴論だが、間違っていない。
 気高き者エーデル・ムートは、人を殺してでも世界の秩序を選んだ集団なのだ。
「お前が殺さない奴はかわりに殺してやってもいいけどな。お前が嫌だから殺さないってんじゃ、他人に嫌な仕事を押し付けているだけじゃねえの」
 そう言って、トラはきびすを返す。血まみれのまま、能力で空間を渡り、帰って行った。
 残されたミアは、何も言えなかった。


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