「記憶がない?」
 ミアの問い掛けにヴィナは頷き、
「なーんも覚えてないの。最初の記憶は、コハルに出会うちょっと前」
「記憶喪失ということ?」
「覚えてないんだもん、それもわかんない」
「それはそうね……」
 ふむ、と考える。
 そもそも意思疎通ができるラスター自体が初めての存在なので、比べようもないのだが。
「そんなにおかしなことなの?」
「……そう言われると、ヴィナさんの存在そのものが特異すぎて、なんとも言えないのだけれども」
 ミアは慎重に言葉を選びながら、
「まず、一般的に能力者が能力に目覚めるのは、ラスターに襲撃された時。これはいいわね?」
「うん」
「私も、私の仲間も、みんなラスターに襲撃されている。祠宇守神社みたいに歴史のある組織はラスターの被害に関係なく能力を持っていることもあるけど、これはどちらかと言えば例外。普通は能力は遺伝しない」
「そういうものなんだ」
「ええ。だから、能力者はほぼ、自分が能力に目覚めた瞬間を知っているのよ」
 ーー能力に目覚めた瞬間。
「言うなれば、その瞬間は私たちにとって、生まれ変わった日。その時点では決して敵うことのない理不尽な災厄に対して、復讐を誓った日。忘れようにも忘れられない、苦い思いを持っている」
「それは、まあ、言いたいことはわかるけど」
「そう。ヴィナさんがラスターではないと仮定すると……自分の能力を手に入れた瞬間を知らないというのは、非常に稀有なことなのよ」
 ミアはコハルが用意したコーヒーを飲みながら、
「私はね、ちょっとだけ、ヴィナさんがそういう能力者なのかと思っていたの。幽体になる能力、とでも言えばいいかしら」
「幽体離脱する能力者ね。そう言われると、普通の人間みたいだ」
「実際、意思疎通ができるラスターがいるというより、そっちの方がよほど現実的よ。もっとも、幽体離脱する能力者なんて聞いたこともないのだけれど」
「でも、ヴィナはそういう能力者じゃないってこと?」
「証明はできないけれど。さっきの話に照らし合わせるなら、能力者として……幽体離脱する能力に目覚めた瞬間を知らないはずがないのよ」
「そういうことか……」
 確かに、ヴィナは記憶がない。厳密には本人の申告なので証明できないが、まあ信じていいだろう。
 だが、能力者がすべからく自分の能力の起源を知っているなら、ヴィナはそういう意味でも特異な存在だ。
 思いのほか、彼女はイレギュラーな存在なのかもしれない。
「まあ、現状では調べようもないものね。研究班もいないし……」
「研究班?」
「ほら、龍宮君と戦った時に私が使った道具、覚えてる?」
「ああ。あのメダル」
「あれは本国にいる研究班の者が作った道具なの。戦闘能力は低い代わりに、開発と解析に優れている」
 リソースの話で言うなら、武官ではなく文官を選んだということだろう。
「彼女に会えばまた変わるかもしれないけど、そのためにドイツから呼び寄せるわけにもいかないわね。とはいえ、いつかは調べさせて貰うことになると思うけど」
「今じゃない、ってことだね」
「ええ。この危険な現状で、そこまでのリスクは負えない。研究組は戦闘力がないもの、襲われたら一瞬で殺される」
 ミアは表情を引き締めた。
「それは龍宮君も同じ。あなたも、私やヴィナさんから絶対に離れないようにね」

★ ☆ ☆ ☆ ★

 一方その頃、教会。
 ミアを送り出したニーナは、日課である教会の掃除をしていた。危険な状況ではあるが、今すぐに彼女ができることはそう多くない。
 今は、日常を演じている方が安全だ。
「……」
 とはいえ、ベルホルトのことを考えないわけにはいかない。
「なんで、こんなことに」
 ぽつりと漏れる言葉。それは、彼女の本心だった。
 ベルホルトは、ニーナにとって特別に仲の良い仲間だった。二人で組んで、多くのラスターを屠ってきた。
 彼が偏向思考だったことは理解している。だが、それでも。彼は許されない領域に足を踏み入れようとしている。
 仲間として、恋人として。だが、それ以前に誇りある気高き者エーデル・ムートとして。
 彼のやることを許すわけにはいかないのだ。
 ため息混じりに長椅子を雑巾で拭いていると、
「ニーナ様!」
 礼拝堂に一人の教会員が飛び込んできた。まだ若い彼女は息を切らせている。
「どうしましたか、マリア」
「は、はい。その、ベルホルト様を発見しました」
「……詳しく」
「はい。都内で拠点としている廃ビルを発見しました。こちらです」
 教会員が取り出したのは、望遠レンズを使ったカメラ。操作し、画像を表示させる。
 雑居ビルに出入りする大柄な男。その横顔は間違いない。
「よくやりました、マリア。あとはゆっくり休んでいなさい」
「あ、はい。と、ニーナ様。この後は……?」
 教会員の問い掛けに、ニーナはにっこりと笑みを見せた。
「心配はありませんよ。あとは、わたくしが全て決着してきます」

★ ☆ ☆ ☆ ★

 そこは、雑居ビルの地下にある居酒屋だった。
 ごく普通の居酒屋で、サラリーマンたちが酒を飲んでいるような店である。こういう店は得てして騒がしく、かえってバーや喫茶店で会うよりも話を聞かれる心配がない。
 そんな店の座敷に、大柄のドイツ人が座っていた。
 ベルホルト・ベーゼンドルファー。身長は180センチを越え、いかつい顔は近寄りがたい雰囲気がある。頬には消えない傷痕があった。
「いよう、ダンナ」
 そんなベルホルトの対面に、一人の男が座る。
 染色したシャギーヘアに、サングラスをかけた男。派手な身なりで、こちらもカタギには見えない。半グレ、あるいはもう少し危険な匂いがする男だった。
 派手な男はタブレットでビールを頼む。店員がすぐさまビールジョッキを運んでくると、それを半分ほど一気に飲んだ。
「ぷはぁ。一仕事やった後の酒はうめぇな」
「一仕事? 殺せもしなかったのにか?」
「かっ。ダンナは厳しくていけねぇや。いいじゃねぇか、ボロボロにしてやったんだ。半年は再起できねえはずだぜ」
「いや。気高き者エーデル・ムートの能力者がいれば、数日で治療できるだろう」
「あぁ? そうなのか? けっ、治癒術者ってのはめんどくせぇな。先にそいつを潰した方がよくね?」
「確かに潰しておきたいが、治癒術者は拠点から滅多に出ない。狙い討ちできん」
「そんなの、オレとダンナで襲撃すりゃいいじゃねえか。なんならフェリも連れて行けばいい」
「こっちに治癒術者はいないんだ。お前が負傷しただけでも損が出る」
「オレがそんなヘマなんかするかよ」
 サングラスの隙間から瞳が覗く。猛獣の目だった。
「お前の戦闘力は評価している。だが、連中は一人というわけでもない。今、無理して狩ることもない。それよりラスターを増やす方が重要だ」
「……そうかい。つまんないねぇ、ダンナは」
「ドイツ人はジョークが苦手でな」
「はん。まあ、ダンナのやろうとしていることにゃ協力するって言ったしな。ま、多少の遊びは勘弁してくれや」
「多少ならな。それと、例のやつは見つかったのか」
「……あぁ。見つけたぜ」
 サングラスの男はスマホを取り出すと、一枚の写真を表示させた。
 そこには、高校の制服を着た、一人の男子が映し出されている。
「龍宮心晴。こいつが鍵だ」


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