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突然、ベランダの柵がひん曲がる。 直後、正面にあるビルの外壁が吹き飛ぶ。 通り掛かる一般人は”ガン”と何かがぶつかる音は聞けど、その原因を目撃することはない。 人間の目で追いかけることなど到底できない速度だからだ。 「……」 ニーナ・マイヤーは見知らぬ屋上に降り立った。足元にあった室外機を踏み抜いたが、そんなことは気にしていない。修道服の裾を翻し、敵を探す。 時刻は午前1時32分。すでに空は闇が覆って久しいが、町の明かりは消えていない。 指で輪っかを作ると、敵の姿はすぐ見つかった。 「いいわね」 誘いは上々、囲いは理想。 標的は間もなく目的のビルに降り立とうとしていた。距離約1キロメートル。 これは”狩り”だ。獲物を狙いの場所まで誘い込み、狩り、殺すための順序。 「一気に行くわよ」 能力者としては基本中の基本、一瞬にして距離を詰める技術ーー瞬動術。その上位技、遥かな距離を一息に詰めてしまう超長距離瞬動術。 「超臨瞬動!!」 ビルの外壁をまるまるぶっ飛ばし、それほどの勢いでニーナは飛び出す。 1キロという距離を一瞬でゼロにし、ニーナはそのまま襲撃する。 「ッ!!」 「はッ!!」 ニーナの蹴りをベルホルトは片腕で弾いた。そのまま、ニーナは屋上に着陸する。 「いい反応ね、ベルホルト」 「久しぶりだな、ニーナ」 大柄なドイツ人は、あの日と変わらない無愛想さでニーナを迎える。黒いロングコートも、擦り切れたスーツも、見慣れた格好だ。 その姿に、わずかに郷愁を覚えつつ。 「ベルホルト。わかってるでしょ?」 「わかる? 何をだ?」 「わたくしが、あなたを認めないということ」 ニーナの言葉に、ベルホルトはくすりと笑った。 「いまさらそんな問答から必要なのか?」 「ベルホルト……」 「お前は俺が気高き者を出たあの日、俺を殺せなかった。それが全てだ。最初で最後のチャンスを、お前は逃した」 「わたくしは殺しをよしとしません」 「俺もだよ。勘違いしてもらっちゃ困るが、俺は別に大量虐殺をしようってわけじゃない。ただ、世界をあるべき姿にしようって言ってるだけだ」 「あなたのやろうとしている行いは、大勢を犠牲にするものです」 「仕方ないだろう? 正しくあるためには。なに、実際の犠牲者はそれほど多くならない。ラスターが大量発生したところで、祠宇守を初めとする各国の組織が動くだろう。想定している犠牲者は、ほんの十万人ほどだ。それも、直接の犠牲者は数千人で済むだろう」 あとは人間が殺す人間の数だ、と言う。口元に笑みさえ浮かべながら。 そんなベルホルトの言葉に、ニーナは奥歯をギリリと噛み締める。 「その十万人に心を寄せられない時点で! あなたはわたくしの敵です!」 「そうかい。じゃあ問答も必要ないな」 ベルホルトが片手をあげると、周囲の空間がぐらりと揺れた。 「……!?」 「この廃ビルにお前たちが仕込みをしていたことは知っている。周囲を巻き込まないように結界を張ったな? あまっちょろいことだ。俺は最初から、誘い込まれてやったのさ」 周囲を取り囲んでいたのは、ラスターだ。 異形たちは、すべからくニーナを獲物として見据えている。 「ラスターの中でも特に戦闘力の高い連中を30集めた。まともな教会員なら一匹でも返り討ちに遭うようなレベルの連中さ」 「あなた、本当に……!!」 「ラスターはもはや俺の手下だ。お前に勝ち目はない」 ふう、とニーナは深く息を吐いた。そして、シスターとしてかぶっていたフードを脱ぎ捨てる。 「そう。なら、久しぶりに見せてあげるわ。わたくしの能力」 ニーナの周りを囲む空間がぐらりと揺れた。 直後、手近にいた数匹のラスターがニーナを食い殺そうと襲いかかる。団子のように固まったそれを、 「消えろ」 ニーナは一撃で消し飛ばした。 形状を留められないほど開いた無数の穴。ラスターたちはそのまま、闇の欠片となって消えていく。 「……前より力を増していないか」 「当然でしょう」 それはさながら、針ねずみ。 ニーナの周囲に浮かんでいるのは、無数の銃口。鈍色のそれらは、四方八方を狙い済ましている。 ニーナの能力【人間の愚かな火】。 組織において最強の火力を叩き出すニーナの能力は、ただ単純に銃器を生み出すというもの。 ただしその銃は現実のものではなく、あくまで能力で顕現しているだけのもの。本質的には鈴が具現化している剣などとまったく変わらない。 違うものはその数。鈴がたった一本の剣を顕現するのに対し、ニーナが顕現する数はーー。 「わたくしが同時に顕現できる銃器は7200。30ばかりのラスターでは、ちょっと手緩いのではないかしら?」 直後、銃口が火を噴く。 具現化された弾丸は周囲を囲んでいたラスターを切り刻み、姿が保てなくなった者から消えていく。 全滅させるためには10秒とかからなかった。 ニーナはアサルトライフルを顕現し、手に取る。銃口はベルホルトの額に向けて。 「俺を殺そうってわけか」 「あなたが人を殺そうとするのであれば」 「それは矛盾じゃないのか?」 「いいえ。正当防衛ですよ。あなたという、凶悪な殺意そのものから」 「殺意、ね」 両手を上げたベルホルトは、 「ニーナ。なんでお前はいまだに組織の下にいられるんだ?」 「あのデモなら、わたくしたちにはどうしようもありませんでした」 「あんなものはただのキッカケだ。押さえ付けていた風船が内圧で破裂したに過ぎない」 「では?」 「俺が言っているのは、この世界そのものの構造さ」 「……?」 ベルホルトは空を見上げる。 東京の夜空は、星もよく見えない。 「能力者が世界を守る。体よく言えばそういう構造だ」 「力ある者が力なき者を守るのは当然でしょう」 「それだ」 ベルホルトのまっすぐな眼差しがニーナを捉える。 あの頃と同じ瞳。 「力ある? ふざけたことを言っている。お前たちは、俺たちは何様なんだ?」 「……?」 「俺も、お前も、気高き者の連中も。みんな人間だ。神様じゃない。そんな連中が、力のない者を守るだって? ふざけているじゃないか」 「どういう、こと?」 「お前たちに自覚はないだろうが、現状は能力者が世界を支配しているんだよ。能力を持つ連中だけが能力を行使し、世界の構造を正しく理解し、何も知らない人間を下にしている」 「わたくしたちは上下関係などありません。市民がわたくしたちに何を返すわけでもない。ただのボランティアでしょう」 「そうか? 政治家と一緒さ。市民の知らないところで世界を守る。そのために必要な力を独占する。市民は、自分たちが下位種であることさえ知らされることはない。そんな世界は変えるべきなのさ」 「ベルホルト、あなたは……」 「特権など必要ないのさ。全員が力を持てばいい。能力者が新しい人類となり、能力者が世界を正しく運営し、能力者たちが暮らす世界を作る」 「……させません。能力は秘匿されてしかるべき存在です。誰も、生きていくためにこんな能力は必要じゃない」 「それを俺たちが決めていること自体がおかしな話なのさ」 ニーナは銃口で返事をした。 「さよならの言葉は、それでおしまいですか?」 「そうだな。俺からはそれだけだ。ニーナ、お前からは?」 「わたくしからは何も」 「そうか。残念だ」 「ええ」 ニーナは静かに引き金を引いた。 銃弾は、ベルホルトの額に直撃した。 |