エスニャの日、早朝。
 ヴァンが奨励会館を訪れた翌日。全国決闘連盟の事務員であるミーナ・ヴェルデは、朝の気持ち良い空気の中で歩いていた。
「んー、いい天気! ね、ピーちゃん」
 ミーナのかたわらには、妖精の姿もある。まるまると太ってはいるが、翼を持つ鳥の姿をしている。
 もっとも、妖精にとって、姿かたちというのはあまり意味がない。彼らにとって、この世はあくまで顕現しているだけの空間。その本質は神の一部であり、アストラルサイドこそが彼らの空間だ。
「こんな日はいいことありそう。……とりあえず、昨日みたいのはないといいなぁ」
 前日のことを思い出す。受付業務をやるようになって、はや数年。確かに、確かに決闘をする人は変わり者が多い。いい歳をして子供の遊びに本気で取り組むような連中なので、たいがい変わり者ではある。
 なのだが――それにしても、住所不定無職の少年がいきなり飛び込んできたのは初めてだった。
「常識を知らないのはともかく、話が通じないってのがいちばん困るのよねぇ……。ん? どうしたの、ピーちゃん?」
 ミーナは自分の頭上でぱたぱた遊んでいる妖精を見上げた。何かを見つけたらしい。
「公園?」
 奨励会館の古い建物――の、隣。そこには、近所の子供たちが遊んだりする公園がある。公園の隅には大きな樹があり、夏はミーナも木陰で弁当を食べたりする。
 その樹に、妖精が何かを見つけたらしい。ミーナが樹に近づいてみると、
「ッ!?」
 樹上で人が倒れていた。
 と、樹上の人物がごそごそ動く。
「ん? お、おお、もう朝か」
「ってヴァン君!?」
「んー? ああ、昨日の受付のお姉ちゃんか。おはよー」
 樹上で背伸びし、ヴァンは飛び降りてきた。かたわらには、アルウェズの姿もある。
「ヴァ、ヴァン君、もしかしてここに泊まったの?」
「ん? ああ、そうだよ」
 体操で体をほぐす少年に、ミーナは頭を抱えそうになった。
「あのね、ヴァン君。ここ、公園なのよ?」
「おう?」
「公園って、ようは外なの。宿泊所じゃないの。寝起きするとこじゃないの。わかる?」
「大丈夫だって。オレ、樹の上で寝るの、慣れてるから」
「そういう問題じゃなくてね……」
 どう説明すればいいのか、ミーナが悩んでいると、
「おはようございます」
「え? あ、カ、カンナさん。おはようございます。早いですね」
 振り返ると、盲目の女が少女に手を引かれていた。カンナ・ヴィオレッテ。プロ決闘者だ。かたわらでカンナの手を引いているのは、彼女の弟子だった。奨励会の会員なので、ミーナも顔見知りだ。
「シルビナちゃんもおはよう」
「……おはようございます」
 ミーナが挨拶すると、少女――シルビナも挨拶を返す。表情の変化が薄く、愛想のない子ではあるが、こうして返事はするし、なによりアマチュア決闘者には珍しく常識がある。なので、ミーナとしても仲の良い子であった。
 だが、今日のシルビナは、いつもにまして不機嫌そうに見える。表情に変化はないので、なんとなく、だが。
「お? シルビナじゃん」
「ヴァン・レクサス……。あなただったの」
「え? あれ、ヴァン君とシルビナちゃんって知り合いなの?」
 ふたりの顔を見比べる。ヴァンは頷くが、シルビナは少しだけ嫌そうな雰囲気。
「昨日、列車の中で会っただけ。同じコンパートメントで、ヴァンが寝ていて……。妖精が起こそうとしてたから、代わりに起こしただけです」
「ああ、そういうこと」
 本当にどこでも寝る少年だ。
 シルビナはカンナを見やり、
「先生。さっき言っていた新しい弟子というのは……」
「そうです、彼ですよ。シルビナ」
 くすっと笑い、カンナは続ける。
「とは言っても、ヴァンを弟子にしたのは、彼を奨励会に入れるための措置です。望むなら教鞭をとっても構いませんが……、彼は、ただ相手が欲しいだけでしょう?」
「そうそう、その奨励会? ってのに入れば、強いのと決闘できるんだろ」
「ええ。奨励会は、決闘専門の塾です。休日に皆が集まり、互いに決闘をして、その長所や短所を教え合うための場。奨励会に所属する者は、皆、プロを目指しています。全員、一般のアマチュアよりも芯の通った強さがありますよ」
「へー。なんでもいいや、とにかく強いやつと決闘できんなら」
「ふふ。今日はちょうど休日、対局日です。まずは対局を見てみなさい。そうすれば、この場のレベルもわかることでしょう。というわけで、シルビナ、別段、彼と特別に親しくしなさいとは言いません」
「……」
 シルビナは返事をしなかったが、カンナは構わず、
「さて、ミーナさん。少し早いですが、もう道場は開きますか?」
「あ、は、はい! ただいま!」
 シャキッと背筋を伸ばしたミーナは、玄関を開けるべく駆けて行った。

◇ ◇ ◇


 しばらくすると、奨励会館の二階にある道場に、少年少女たちが集まって来た。
 ヴァンは、その顔ぶれを見るともなく眺める。
 精悍な顔つきの青年、やたら可愛らしい格好の少女、ひょろひょろとした少年に目つきの悪い少女。
 男女の区別はないが、なるほど、全体的に若い。ほとんどが十代だろう。
 だが、決闘の強さは年齢ではないし、ましてや性別や外見など何の関係もない。
「……」
 早く戦いたい。
 うずうずするが、カンナに、まずは見て、空気を覚えて欲しいと言われた。なんとなく、本当になんとなくなのだが、彼女には逆らわないほうがいい気がしている。ヴァンの限りなく野生に近い勘がそう告げていた。
 ちらりと見れば、カンナは道場の端で椅子に座り、皆を見ている。いや、彼女は目が見えないはずなので、見ているのではなく聞いていると言うべきなのだろう。だが、彼女の顔を向ける先があまりに正確で、本当に見えていないのか不思議にさえ思う。
 そうやって待っていると、皆が道場に集まった。それぞれ適当なところに座ったところで、シルビナが立ち上がりカンナの脇に立った。
「先生、揃いました」
 シルビナが声をかけると、カンナは小さく頷いた。
「それではみなさん、おはようございます」
 おはようございます、と皆が返す。
「今日も元気そうでなによりです。さて、本当はミーナさんにご紹介いただくべきかもしれませんが、今日から奨励会に新しい仲間が入ります。ヴァン・レクサス君。フィーロ村という地方から、決闘をするために出てきたそうです」
 シルビナに視線で促され、ヴァンは立ち上がった。
 その瞬間のことを、ヴァンは忘れられないだろうと思った。
 先ほどまで談笑しながら笑顔を見せていた全員が、一瞬だけヴァンを見た。その視線の鋭さ。
 さながら、獲物を取られそうになった野生の獣――。
 思わず、背筋がゾクゾクと震える。
「今日のところは見学していただき、明日からランキング戦にも参戦します。では、皆さん、アストラルサイドへの転移を」
 視線はもうない。
 なのに、うすら寒い気配は消えていない。その事実に、ヴァンは思わず笑顔を浮かべた。