ヴァンは、ライゼルを奨励会館横の公園まで案内した。
「他の場所、あんま知らねーからよ」
 そう言って笑ったヴァンは、樹の根元に座る。ライゼルも、並んで座った。
「……どうして僕が出歩いているってわかったんだい?」
「そういう目、してたからな」
「目……?」
 そんなことで。
 驚くライゼルに、ヴァンは笑う。
「決闘ん時とかのさ、なんか仕掛ける直前の、やってやるって意志。わかるんだ、オレ」
「君は……、本当に」
 本当の、天才だ。
 あれだけ雑多な空気。その中にいて、ほんの一瞬だけ漏らしてしまった気配を見逃さず、しかもそれを追求する。
 自分の感覚を信頼していなければできない所業だ。
「……なあ、ライゼル。あんた、なんのために決闘してるんだ?」
「なんのために?」
「そうさ。オレは最強の決闘者になる。さっきも言っただろ? それがオレの夢なんだよ」
「それは……、僕に対するあてつけかな」
 ポケットに手を当てる。そこには、市販品の茶葉と一緒に――下剤の小瓶が入っている。
 茶に混ぜて飲んでいれば、猛烈な下痢に襲われるだろう。現世での体調不良はアストラルサイドでも影響する。
 ライゼルは、ヴァンを嵌めようとしたのだ。今のままでヴァンに勝てる可能性は五分。だが、一勝が惜しいライゼルの現状では、五分など確率にもならない。
 必勝。そのために、ライゼルは手段を選ぶ余裕がなく、そんなライゼルのことを、ヴァンは見抜いていたのだ。
「今年が最後なんだ。今年を逃せば、もう僕はプロになれない。ずっと続けてきた決闘から、見放されてしまうんだ……」
 うつむくライゼルに、ヴァンは首をかしげる。
「なんでそうなんだ? 負けたら、もう決闘できねーのかよ」
「君は僕の現状をわかっているのか?」
「わかってるつもりだけどさ。たとえばなんだけど……、オレは、プロってのになれなくても、決闘はやめないぜ」
 ヴァンの言葉に、ライゼルは眉をひそめた。
「どういうことだ」
「だからさ、オレがなりたいのは最強なんだって。プロになりたいわけじゃない。そりゃ、プロになったほうが強くなれるかもしれねえけど、最強になる道はそれだけじゃねえだろ。アマチュアだって強いやつは強い、そうじゃねえの?」
「それは……、そうかもしれないが」
 アマチュアの強豪は、時にプロ決闘者を破ることもある。
 もちろん、プロの方が全般的に強い。だが、そういうアマ強豪に憧れる人がいることも事実だ。実際、奨励会に入ったきっかけは、アマ強豪の決闘を見たから、という者もいる。
「オレにとっては、強くなることだけが目標なんだ。それ以外は、割とどうでもいい」
「……」
 不思議に思えた。
 強くなる。それは、普通ならば手段だ。
 勝つために。プロになるために。それこそが強さを求める理由だ。
 なのに、ヴァンはひたすら強いことだけを求めている。それが、ライゼルには不思議だった。
 そして、その疑問を、ぶつけてみたくなった。
「ヴァン。君は、どうしてそこまで、強くなろうと思うんだ?」
 問いかけに、ヴァンはにやりと笑う。
「恩返し、なんだ。アルウェズには返せないほどの恩がある」
「アルウェズ?」
 名前を呼ばれ、ヴァンの懐から小さな少女が顔を出した。ヴァンを見上げ、にこりと笑う。
「アルウェズは決闘が好きなんだ。頑張って、戦って、強くなって。怪我して、苦しんで、それでも成し遂げる。そういう努力が好きなんだ。だから、オレは決闘を選んだ。ライゼルは、どうなんだ?」
「僕、は」
 思い返す。
 まだ子供の頃。もう20年近く前のことだ。プロ決闘者の手合を初めて見て、その強さと凛々しさに憧れて。
 真似をして、友達と決闘を繰り返すようになって。友達はすぐに飽きてしまったけど、自分はやめられなくて。
 決闘相手を求め、憧れのプロに弟子入りを申し出て。やがて、奨励会に入り、妹弟子もできて――。
 いつの間にか、忘れてしまっていた過去。
「そう、僕は、決闘が好きだったんだ」
 相手の隙を伺う緊張感。
 勝った時に得られる高揚感。
 そして、何より、自分が賢明に考えた戦略で相手を出し抜く、あのわくわくした気持ち――。
「忘れていたな」
 もう20年も前のことだ。思い返すことさえなくなってしまい、最近は、ただ勝つことだけを考えていた。
 決闘は、当たり前だけれど、勝ったり負けたりする。今まで何度も惜しいところでプロの切符を逃していたせいで、いつしか、プロになることだけを考えてしまっていた。
 きっと、昔の自分が今の自分を見たら、笑われてしまうだろう。
「……ヴァン。その、ありがとう」
「オレは何もしてないぜ」
「いや。目が覚めた」
 ズボンについた埃を払い、空を見上げる。
 今日は星がきれいに見えていた。そういえば、星を見る余裕さえ、いつしかなくしていた。そんな自分に気付く。
「もう大丈夫か?」
「ああ。すまない」
 ライゼルは、歩き始めた。
 見つけたゴミ捨て場に、ポケットの小瓶を放り投げる。
「ヴァン・レクサスか」
 きっと自分は、彼に敵わないだろう。
 あのアリスが負けたということも理解できる。あれだけ意地っ張りだった彼女のことだ、感情を御しきれなかったのだろう。
 思えば、ヴァンと決闘した後のアリスは、少しだけ丸くなった。兄弟子として、少しだけ嬉しい。
 彼は、本当に不思議な少年だ。
 それが、ライゼルには嬉しく思えた。

◇ ◇ ◇


 翌日、夕刻。
 ライゼル・アズールは休憩所でお茶を飲んでいた。そこで、ふと顔を上げる。
「ミーナさん」
「あ、はい?」
 よくできた受付嬢は、パッと笑顔を向ける。
「奨励会の事務員って、どうすればなれるんですか?」
「え? 一応、採用試験とか募集とかありますけど……。どうしたんですか、ライゼルさん?」
「実は今日、ヴァンに負けちゃいまして」
「……あ」
 ライゼルの現状はミーナも知っている。それだけに、言葉に詰まる。
 そんな相手に、思わずライゼルは笑えてしまった。
「いいんです、別に。確かにプロになるのは少しだけ難しくなったかもしれませんが、ただそれだけです。可能性がなくなったわけじゃありません」
「それは、そうかもしれませんが」
 心苦しそうに言うミーナに、ライゼルは続ける。
「それに……、僕、やっぱり決闘が好きなんです。やめられないくらいに。まあ、人生の大半を捧げたものですからね。当然かもしれませんが」
 そう、たった26年の人生。だが、その大半は決闘に捧げてきたのだ。
 今さら、プロになれるかどうかなど、苦慮したところで仕方ない。どうせ自分には、決闘しかないのだ。
「僕は決闘が好きです。だから、決闘に関わり続ける限り、夢は終わらない。そんな気がするんです」
 笑うライゼルに、ミーナは少しだけ表情を緩めた。
「そうですか。実は事務員、手が足りないんですよね。ライゼルさんが入ってくれるなら助かります」
「まだわかりませんよ。プロになるかもしれませんから」
「ふふ、そうでしたね」
 くすくすと笑う女性事務員のかたわらで、ライゼルは窓の外を見た。
 明るい日差しが差し込んでいる。目を向ければ、光はそこにある。
 その事実が、たまらなく感動的で。ライゼル・アズールは、こっそりと目元をぬぐった。