奨励会の手合後。
 今日も今日とてたくさんの決闘を重ね、ほくほく顔のヴァンは、階下に降りてきた。
 奨励会館の1階は事務スペースと休憩所になっている。そのうち、休憩所の方に、ゼル・ロッシェの姿があった。
「よう、ゼル」
 同門の仲間は、声に顔をあげる。
「よう、ヴァンか」
「なんだよ、それ」
 ゼルが視線を落としていたのは、一枚の紙。頭の方には進路調査票とあり、下には六つの枠がある。
「これか。進路調査票っていって、学校に将来なりたいもの――やりたい仕事を書いて出すんだよ」
「なんだお前、学校に行ってたのか」
「お前みたいな決闘バカと一緒にすんじゃねえよ」
 ゼルの手元にある進路調査票には、まだ何も書かれていない。白紙の状態だ。
「やりたい仕事って、プロになるんじゃねえの?」
「まあ、プロ決闘者もひとつの選択肢だけどな……」
 そう言って、ゼルは薄く笑う。いつもの元気な笑みとは違った、少し陰のある笑い方だった。
「実はさ、迷ってるんだよ」
「迷うって、プロになるかどうか、ってことか?」
「そうそう。そりゃ、決闘で食っていけるなら最高だけどさ。プロってそんなに甘いもんじゃねえし。師匠はなんだかんだで上位だから食べていけてるけど、プロでも底辺の方は食べていくことも難しいんだぜ」
「そうなのか?」
「そりゃそうさ。プロの収入、主な部分は決闘手合だ。公式試合に出て、勝てば報奨金が貰える。けど、負けちまえば何も得られない。勝ち続けなきゃ、生活もままならねえんだ」
「勝てばいいじゃん」
「簡単に言うなよ。プロ同士の決闘だぜ? 常勝なんてそう簡単にできることじゃない。それに、決闘者ってのは自営業扱いだからな。大きい商会に所属する連中と違って、病気でもしたら一発アウト。手合には出られないから収入もなくなるし、生活の保障なんてなくなるんだ。大きい病気をして生活できなくなって、プロをやめる人もいるくらいなんだぜ」
「ふうん。そうなのか」
「そうなのかって……。まあお前は決闘バカだからそういうの考えないかもしれないけどな」
 ゼルは手持ちの紙切れをひらひらとあおぎ、
「悩むだろ、そりゃ。一生のことだぜ。そりゃ俺だって学校の成績が良いわけじゃないけど、どこか大手の商会に入ることだってできなくない。ちょうど分岐路ってことだよな」
 そう言うゼルの横顔は、いつもと少しだけ違って見えていた。

◇ ◇ ◇


 夜。カンナの家に居候しているヴァン・レクサスは、同居人と共に夕食の卓を囲んでいた。
 夕食を作るのはいつも通り、シルビナの担当だ。彼女の作る料理は素朴だが旨い。ヴァンには好きな味だった。
 その席で、ヴァンは己の師匠を見やる。
「……なあ、カンナ」
「どうしました、ヴァン」
「生活するって、そんなに大変なのか?」
「……? どうでしょう。生きていくだけならば、難しくはないかもしれません。都市は豊かですから」
「でも、飯を食べるにも、都市では金が必要なんだよな」
 ヴァンとて、毎日都市で生活をしていれば、少しずつ事情も理解できてくる。
 田舎では動物を狩り、そこらに自生している樹木から果実をもいでいれば、食べていくことはできていた。だが、都市ではそういうものはなく、代わりに金銭を払って毎日の食事を用意しなければならない。
「どうしましたか、ヴァン。お金の心配でもしているのですか?」
「そういうわけじゃねえけど」
「私は、あなたを内弟子としました。内弟子とは親子の関係そのものです。子が親の財布など心配しなくてもいいのですよ」
「けど、稼ぐって大変なんだよな?」
「……本当に、何かありましたか?」
 重ねた問いかけに、少しだけ悩んだが、ヴァンは昼間の出来事を話すことにした。
 話を聞いたカンナは、
「なるほど、ゼルが……」
「あいつ、カンナにはそういうこと、言ったのか?」
「面と向かって相談してくれたことはありません。ですが、そういう悩みを抱えていることは聞いています。彼の学校の担任からも相談されましたから」
「学校の担任?」
「ゼルの、学校での師匠みたいなものですよ。ゼルは以前から進路に悩んでいたようですね」
「カンナは何も教えてやらねえのか?」
「自分の進路について、他人が言えることはありませんから」
 そう言って、カンナはお茶をすする。
「確かに、プロ決闘者というのは、純粋に仕事としてみれば厳しいことが多くあります。収入は不安定ですし、生活の保護もありません。タイトルホルダーになれれば並の商人などよりよほど多くの収入を得られる反面、三流になれば、明日の食事にも困ることになるでしょう」
「でも、あいつは決闘が好きなんだぜ」
「好きなだけで仕事にはなりません。仕事というのは、苦しいことや、やりたくないこともやらなければいけませんから」
「……そっか」
 言い返す言葉のないヴァン。カンナは口元を緩める。
「プロになるのもならないのも、全てはゼルが決めることです」
「そうだけど……」
「ヴァンは、ゼルが心配なの?」
 今まで黙っていたシルビナが口を開く。ヴァンは隣の姉弟子を見やり、
「心配っていうか。なんていうか、もやもやするんだよ」
「ふうん……。なら、イベントにでも参加してみたら?」
「イベント?」
 シルビナは頷き、
「ちょうど明日は、先生が決闘のイベントに参加するの。私は介助でついて行くけれど、ゼルとヴァンも一緒に来る? プロの仕事ぶりが見られるし、そういうのを抜きにしても、気分転換になるかもしれないわ」
「ふうん。そういうのもあんのか」
「たまにだけれど。イベントに参加するのもプロ決闘者の仕事なの。公式手合ほど報酬が得られるわけではないけれど、それも大事な収入源になるわ」
「……よし。じゃあ、行ってみるか! ゼルも誘って」
 立ち上がり、ヴァンはバタバタと台所から飛び出して行った。
「落ち着きがないですね」
「それだけまっすぐということです。ひとつのことしか考えられないというのは、勇み足とも取れますが……、今のゼルのように、ただ迷うだけよりは、良い結果になることも少なくありません」
「そういうものでしょうか?」
「ええ。ですから、シルビナも、迷うよりは、一歩を踏み出してみることも手ですよ」
「……何のことですか?」
「何のことでしょう」
 とぼける師匠は茶をすするばかり。
「……」
 シルビナがいくらにらんだところで、盲目の師匠は反応さえしてくれないのであった。